...猶近き頃まで夷人の住所なりしと見えて南部...
太宰治 「津軽」
...雑種の夷人前代未だ嘗て帰附せざるもの...
太宰治 「津軽」
...夷人(アイヌ)初めて死するときは...
中山太郎 「本朝変態葬礼史」
...夷人跳梁の有様をつぶさに見た...
服部之総 「志士と経済」
...夷人斬りの計画を立て資金百五十両を強盗して...
服部之総 「志士と経済」
...蝦夷人(えぞびと)の子を養うて何ほどに教育するも...
福沢諭吉 「徳育如何」
...彼らのうちの一人である佐藤行信は蝦夷拾遺(えぞしゅうい)に書き記(しる)して云った――「イシカリ川、その源は遠く山間に発し、委蛇(いい)として西海に入る、沿岸は渺漠(びょうばく)たる大原野ありて四方便利の地たり、これを開かば一大国府となるべし」ついで、著名な探険家であった近藤重蔵は時の政府に「イシカリ川の義は、総蝦夷地の中央第一の大河にして、水源までおよそ百里の間、左右うち開け候平地沃野のみにて樹林鬱茂(うつも)、夷人所々に住居、川上まで、夷人粮魚(りょうぎょ)おびただしくこれあり」と書をたてまつった...
本庄陸男 「石狩川」
...「夷人の船など傭うて来なさったのはあんたじゃった...
本庄陸男 「石狩川」
...あの緋ラシャのダン袋服を着た夷人が乗りこんで来た...
本庄陸男 「石狩川」
...そこまで見送って来た家中の誰かが云ったものだ――夷人(いじん)におびやかされて置いてきぼりにされたりしたものだが...
本庄陸男 「石狩川」
...大名の居らんところには家臣団も居らんはずじゃが――蝦夷人の大名があったや否やについては一向に存じとらんが...
本庄陸男 「石狩川」
...明日にもしめ殺さねばならんという風に云われとったあの夷人と――メリケンとかオロシャとか...
本庄陸男 「石狩川」
...夷人に促われて夷人の都に拉(らっ)し去られた...
本庄陸男 「石狩川」
...夷人是ヲ被テ雨ヲシノグ...
牧野富太郎 「植物記」
...夷人(くじん)廖仲薬(りょうちゅうやく)秦精(しんせい)等弩(いしゆみ)を高楼に伏せて射殺す...
南方熊楠 「十二支考」
...ゴウラもまた今は絶えたる夷人(いじん)の語かも知れぬ(註...
柳田國男 「地名の研究」
...』『神戸の夷人(ゐじん)さん処(とこ)...
與謝野寛 「蓬生」
...何故(なぜ)真面目(まじめ)に成つて夷人(ゐじん)さんの語(ことば)が習へないのかなあ...
與謝野寛 「蓬生」
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