...里見の天海(てんかい)たる丶大(ちゆだい)や防禦使の大角(だいかく)まで引っ張り出して幕下でも勤まる端役を振り当てた下(した)ごしらえは大掛りだが...
内田魯庵 「八犬伝談余」
...当日、近郷の各町村から駆せ参じたのは、村山半、津久居彦七、蓼沼丈吉、湧井藤七、関口忠太郎、川俣久平、寺内清次、島田雄三郎、新井保太郎、藤沼友次郎、板橋六郎、川島治平、青木清蔵、吉岡耕作、天海浜吉、内田卯三郎、栗原喜蔵、岩下喜右衛門等の百余名いずれも正造の民権運動時代からの同志というべき人々で、嘗て彼の組織した中節社や改進政学党の社中だったものも多い...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...この三区から立てるわけのものじゃない」天海浜吉のこえだった...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...天海浜吉をなかに挟んで...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...徳川初世の黒衣宰相と云はれたる天海...
大町桂月 「川越夜行記」
...いや……」と天海はまた蟹の爪のやうに手をあげて揮(ふ)つた...
薄田泣菫 「茶話」
...」と天海は性(たち)の善(い)い小僧を見る折のやうな眼つきをして柿を見た...
薄田泣菫 「茶話」
...(道灌山の図を見るものは直(ただち)に黄色(こうしょく)を帯びたる淡く軟かき緑色(りょくしょく)とこれに対する濃き緑(みどり)と藍(あい)との調和に感じまた他の一作洲崎弁天海上眺望の図においては黄色と橙色(とうしょく)との調和を見るべし...
永井荷風 「江戸芸術論」
...今では喜多院及び天海僧正にとどめを差すのである...
中里介山 「武州喜多院」
...即ち天海大僧正の墓だ...
中里介山 「武州喜多院」
...天海という坊さんは春日の局と並んで黒衣の宰相として家康の有力なるお師匠番と立てられているが...
中里介山 「武州喜多院」
...――喜多院(きたいん)の天海(てんかい)じゃよ」「アッ、天海大僧正、どうしてここへ」それはじつに天下の名僧、川越の喜多院を修し、日光山を経営し、上野の寛永寺(かんえいじ)を建立し徳川家康の軍師とも師父ともなって、三百年太平のもといをきずいた天海僧正だったのです...
野村胡堂 「幻術天魔太郎」
...そのとき天海は百六歳...
野村胡堂 「幻術天魔太郎」
...日本の大乗仏教は支那から来たせいで、蔵経も梵語(サンスクリット)(古代印度語)の原典の漢訳であるのはやむをえないが、宋版、元版、明版、竜蔵版とかれこれ読みあわせてみると、随所に章句の異同や遺漏があって疏通をさまたげるところへ、天海版、黄檗版、卍蔵版などの新訳が入ってきたので、いっそう混雑がひどくなった...
久生十蘭 「新西遊記」
...蟋蟀の告ぐる心を露台にて旅の女が過たず聞く昭和六年八月六甲山上の天海菴に泊した時の作...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...たとえば天海大僧正のごときも...
柳田国男 「雪国の春」
...天海僧正などは人に語ったそうだが...
柳田国男 「雪国の春」
...ほかに天海とよぶ僧...
吉川英治 「剣の四君子」
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