...戊申(つちのえさる)(天智天皇(てんちてんのう)の二年秋八月二十七日)日本(やまと)の船師(ふないくさ)...
芥川龍之介 「金将軍」
...曰く、古老伝曰、此山麓乗馬里有二老翁一、愛レ鷹、嬢飼レ犬、後作レ箕為レ業竹節間得二少女一、容貌端厳、光明烈耀、爰桓武天皇御宇、延暦之此、諸国下二宣旨一、被レ撰二美女一、坂上田村麿為二東国勅使一、富士裾老翁宅宿、終夜不レ絶二火光一、問二子細一、是義女光明也云、田村麿即上洛奏レ之、於レ是少女登二般若山一、入二巌崛一畢、帝幸二老翁宅一、翁奏二由緒一、帝悲泣、脱二帝玉冠一、留レ此処一登二頂上一、臨二金崛一、少女出向微笑曰願帝留二此、帝即入レ崛訖、玉冠成レ石在二于今一、彼翁者愛鷹明神也、嬢飼犬明神也巳上、今考レ之、云二当山縁起之一上者、仰雖レ可レ信二用之一、時代甚不レ審也、疑若天智天皇歟、彼帝近江宮にて崩玉うといえ共実は不レ然、白地に御馬に召て出まして、隠玉所をしらず...
高木敏雄 「比較神話学」
...天智天皇が百濟を助け...
竹越三叉 「深憂大患」
...天智天皇にしても藤原鎌足にしても...
内藤湖南 「聖徳太子」
...天智天皇の山陵を拜す秋雨の薄雲低く迫り來る木群がなかや中の大兄すめら二十日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...以て天智天皇の剛邁果敢の英主なりしを想見すべしいにしへの近江縣は湖濶く稻の秀國うつそみもよきうつゆふのさき國大和すみ棄てゝうべ知らしけむ志賀の宮どころ滋賀つのや秋田もゆたに湖隔つ田上山はあやにうらぐはし弘文天皇山陵白妙のいさごもきよき山陵は花木犀のかをる瑞垣志賀宮の舊蹟を見て此の山陵を拜すれば一種の感慨なき能はず世の中は成れば成らねばかにかくに成らねば悲し此の大君ろ卅日...
長塚節 「長塚節歌集 中」
...君も天智天皇の方はやれるのかいと聴(きい)た男だ...
夏目漱石 「倫敦消息」
...天智天皇からはじまる...
蜷川新 「天皇」
...天智天皇は、孝徳天皇をたすけて、政治をおこない、いまだ曽つてなかつた制度を定めた...
蜷川新 「天皇」
...盆踊り盆の踊りはみ霊(たま)のたむけ音頭とりさん屋台の上で太鼓打つやら鐘叩くやら「盆だ 盆だ」と皆出て踊る踊り見にゆこ提灯つけて七夕さまと歌七夕(たなばた)さまは竹が すき竹に 短冊歌が すき歌の 中でもどれが すき天智天皇「秋の田のかりほのいほの」歌が すき高津の宮の「高きやにのぼりてみればけむり立つ民(たみ)のかまど」の歌が すき相撲とり人形お相撲はヨイシヨナ...
野口雨情 「未刊童謡」
...すなはち聖徳太子(しようとくたいし)の頃(ころ)の天皇(てんのう)から天智天皇頃(てんちてんのうころ)までは...
濱田青陵 「博物館」
...天智天皇御陵(てんちてんのうごりよう)は山城(やましろ)の國(くに)京都(きようと)の東(ひがし)の方(ほう)にありまして...
濱田青陵 「博物館」
...この天智天皇御陵(てんちてんのうごりよう)にかたどつて...
濱田青陵 「博物館」
...一説には天智天皇の時に焼失して再建されたという...
三上義夫 「芸術と数学及び科学」
...紫の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも(天智天皇皇太子)我が兄子は何所ゆくらむおきつものなばりの山を今日か越ゆらむ(当麻真人麻呂妻)我妹子をいさみの山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも(石上大臣)これらの主題の単純性は...
三好達治 「万葉集の恋歌に就て」
...演者の遠い知人に天智天皇このかた一代の欠もなく連綿百二十代にわたるところの完全なる系図を所有する者もあり...
山本周五郎 「長屋天一坊」
...するとここらは天智天皇が御猟(みかり)のあとか」「さればで」と...
吉川英治 「私本太平記」
...そうそう、わが朝でも、天智天皇の三年、九州水城(みずき)の城において、唐軍の来寇(らいこう)にたいし、堤を築き水をみなぎらせ、これを切って氾濫(はんらん)せしめ、一挙に唐軍を押し流そうと作戦したとか――何かの記に見たことがありました」「いやいや、それも実行までに及ばず、唐軍が退いたらしい...
吉川英治 「新書太閤記」
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