...まるで国貞(くにさだ)の田舎源氏(いなかげんじ)の画が抜け出したようであった...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...国芳は三世豊国(国貞)と共に光栄ある江戸浮世絵の歴史を結了せしむる最後の一人(いちにん)たり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...これを見るに国貞巧二於閨房美人仕女婉淑之像一先生長二於軍陣名将勇士奮武之図一と刻したれども国芳は決して武者奮戦の図をのみよくせしにはあらず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...この新意匠は大(おおい)に世の好評を博し豊国以後もその門人国貞国政また菊川英山(きくかわえいざん)ら皆これに倣ひて同じ図案を反復する事その限(かぎり)を知らず...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞が最上の錦絵は文化文政の頃のものたる事余(よ)別に「衰頽期の浮世絵」において論ぜんと欲するが故ここには言はず(鳥居派五世清満の事も同じ論文に記したれば略す)...
永井荷風 「江戸芸術論」
...)国重の名漸(ようや)く忘れらるるを待ちて(弘化(こうか)二年)歌川国貞また自(みずか)ら先師の名を継ぎ同じく二代豊国と称しぬ...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞はまた常に薄紅(うすべに)薄藍(うすあい)の如き薄色地の衣裳と...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞の風景画には名所の山水を背景となし半身の人物を描ける東海道名所絵の続物(つづきもの)あり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...これ即(すなわ)ち国貞風の極彩色(ごくさいしき)にして当時の人目(じんもく)を驚かしたるものなり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国貞の作には常に一定の形式ありて布局の変化少くまた溌剌(はつらつ)たる生気に乏し...
永井荷風 「江戸芸術論」
...)余は国貞の板画においては必ず粉本(ふんぽん)の臭味(くさみ)を感ずるに反し...
永井荷風 「江戸芸術論」
...国芳は最初国貞と共に役者似顔を描きしが世評よろしからざりしかば...
永井荷風 「江戸芸術論」
...「歌川国芳(寛政九年生文久元年歿)は国貞に優る事明かなり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...余は猩々(しょうじょう)狂斎の背景に二代目国貞が新柳二橋(しんりゅうにきょう)の美人を描きたる一枚絵に時として佳(よ)き者あるを見たり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...これは五渡亭国貞が先頃(さきごろ)から英一蝶に私淑してその号まで香蝶楼(こうちょうろう)と呼んでいたがためであった...
永井荷風 「散柳窓夕栄」
...国貞は猪口(ちょく)を手にしたまま...
永井荷風 「散柳窓夕栄」
...国貞(くにさだ)と...
長谷川時雨 「明治美人伝」
...未だ/\当時の東京文化はそのやうに江戸末年の国貞国芳の市井味感と...
正岡容 「浅草燈籠」
便利!手書き漢字入力検索
この漢字は何でしょう??