...これ吾妻鏡の史料は多く政所問注所に關係ある諸家の日記其他の記録なるべきの故のみにあらず...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...問注所(もんちゅうじょ)執事...
吉川英治 「私本太平記」
...“――鎌倉問注所ノ査問ノ儀...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所から高氏への喚問すら一度も行われていないのだった...
吉川英治 「私本太平記」
...すなわち問注所の一郭だった...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所は、幕政下の“政所(まんどころ)”“侍所”とならんでの鎌倉三大官衙(かんが)の一庁である...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所を柳営外へ移したのは...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所衆の列座へ...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所衆の面々から“御簾ノ廂”の内の人まで...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所のそうした空気も...
吉川英治 「私本太平記」
...高氏が問注所でなした答弁を...
吉川英治 「私本太平記」
...先頃の問注所の対決では...
吉川英治 「私本太平記」
...「では、きのう一日、問注所にて、配所のお扱(あつか)いにつき、おぬしは、そんなにもきびしい取調べを食ったのか」「なんとも、身のあぶらを絞(しぼ)られるおもいでございました」「ふウむ」「先年、美保ヶ関でお引き継ぎをうけたさい、殿のお耳打ちもありましたことゆえ、島では、先帝以下、三名の典侍(てんじ)たちへも、ずいぶん御自由な日々をお過ごしさせておいたのです」「むむ...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所(もんちゅうじょ)の方だが...
吉川英治 「私本太平記」
...問注所(もんちゅうじょ)へ突き出す定めになっておる...
吉川英治 「新書太閤記」
...問注所へ突き出すほどの者でもないし...
吉川英治 「新書太閤記」
...これを問注所(もんちゅうじょ)の白洲(しらす)へ蹴落しても...
吉川英治 「新書太閤記」
...問注所から衛府を通って...
吉川英治 「親鸞」
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