...名越國三郎氏は書物の裝幀畫に骨を折つて下すつた...
薄田泣菫 「詩集の後に」
...赤い顔になった将曹が「仙波――名越...
直木三十五 「南国太平記」
...月番の貴殿の役では」名越は...
直木三十五 「南国太平記」
...裁許掛へ願い出ることに致そう」名越が...
直木三十五 「南国太平記」
...「それはない」「名越殿には?」「無いのう」「方々には」軽輩の...
直木三十五 「南国太平記」
...名越様にお逢いの節は...
直木三十五 「南国太平記」
...止むなき儀につきまして、言上致したく、幸い、国許より、この両名、有志一同に代って見えましたにより、参上致しましたるところ、拝謁仰せつけられ、忝なく存じ奉ります」と、名越が、型の挨拶をした...
直木三十五 「南国太平記」
...二人で話しとるが――名越...
直木三十五 「南国太平記」
...名越も立上った...
直木三十五 「南国太平記」
...斉彬は、暫く黙っていたが「益満の在所(ありか)は?」と、名越へ振返った...
直木三十五 「南国太平記」
...何んと致した」名越左源太は...
直木三十五 「南国太平記」
...邸へ遊びに参れ」名越左源太は...
直木三十五 「南国太平記」
...名越から借りもできるが――俺は...
直木三十五 「南国太平記」
...元老院議官)小姓組番頭 村橋直衛当番頭 畑山良之助同 名越平馬右陸軍学研究の事開成所訓導 鮫島誠蔵(後の尚信...
直木三十五 「南国太平記」
...名越(なごえ)の切通しを上から見おろすあたりまでが庭つづきになっている...
久生十蘭 「春の山」
...北条仲時、茂時、名越、安達、金沢父子、普恩寺入道(ふおんじのにゅうどう)、または赤橋守時といった風に...
吉川英治 「私本太平記」
...そのほか、畿内(きない)、中国、四国にも」「評議は、まとまったのか」「ご裁可さえ給われば、ただちに、諸大名へ、兵の割当てと、発向の日を、布令(ふれ)るばかりに相なっておりまする」「征(ゆ)くのは、誰々か」「まず、この二階堂道蘊(どううん)、老いたりといえ、先陣のひとりに馳(は)せのぼるつもりです」「それから」「ご一族では、阿曾(あそ)ノ弾正少弼(だんじょうしょうひつ)、名越遠江守、大仏陸奥守(おさらぎむつのかみ)、伊具(いぐ)ノ右近大夫、長崎四郎左衛門」「外様(とざま)では」「おまちください」道蘊は、席次のつぎにいる工藤高景をかえりみて、代ってもらった...
吉川英治 「私本太平記」
...幕府から第四次の総大将に任命された名越尾張守高家の手勢は...
吉川英治 「私本太平記」
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