...「お前はけちな雇ひ人根性(こんじやう)でをるのか?」「‥‥」「おれに二千五百圓足らずもつぎ込ませて置いて...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...一日に必ず千五百人なも生るる...
高木敏雄 「比較神話学」
...茶盒(ちゃごう)千五百両...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...わずか千五百フランで大事な娘を取ってゆきやがったからだ...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...たとえ二千五百人にしろ...
中里介山 「大菩薩峠」
...穂高と乗鞍の間に屹立(きつりつ)する約二千五百メートル...
中里介山 「大菩薩峠」
...十勝岳の三千五百尺位の高さの所では...
中谷宇吉郎 「『雪華図説』の研究」
...八千五百石を相違なく下されることになるでしょう...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...五千五百石の御旗本だ...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...母親が先づ三千五百石に惚れ込んだ」「――」「近頃ぢや親がすゝめるやうにして...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...この不景氣に二千五百兩といふ金は寄りませんや...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...二千五百兩の小判を山別けにする筈だつたが...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...こゝの払ひ、三千五百円也...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...千五百年のうちの行事いかんぞや...
三木清 「親鸞」
...千五百八十二年、信長が殺された天正十年の正月に、九州のキリシタン大名の使節がローマに初めて出発して、八年後に持って帰った印刷機から吐き出された信心録のその拡がりの早さ、――それからまた、四十年後の寛永九年、全国に襲ったキリシタン迫害の暴風と、それに抵抗した大殉教の壮烈さ、――矢代はローマ帝国がキリスト教に示した大迫害と匹敵する、当時の日本の大弾圧の様を考え、そのとき殺されていった無数のそれらの生命力の行方を想い泛べるに随い、下ってそれから三百年後の今の世に栄えている、カソリックの姿もまた自然に頭に泛べざるを得なかった...
横光利一 「旅愁」
...鳥羽までお送りしてゆく六波羅武者の弓箭(きゅうせん)千五百ほどで...
吉川英治 「私本太平記」
...金子(きんす)四千五百両の無心を願いに行かせたのであった...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...僅か一千五百尺ほどの高さ...
若山牧水 「梅雨紀行」
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