...几董輩(きとうはい)の丈艸(ぢやうさう)を嗤(わら)つてゐるのは僣越(せんゑつ)も亦(また)甚しいと思ふ...
芥川龍之介 「澄江堂雑記」
...下(しも)に挙げるのは几董(きとう)の編した蕪村句集に載つてゐる春雨の句の全部である...
芥川龍之介 「芭蕉雑記」
...これは几董(きとう)調です...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...紅梅や見ぬ恋つくる玉簾(たますだれ)芭蕉短夜や伽羅(きゃら)の匂ひの胸ぶくれ几董(きとう)というような恋句のごときものでもちゃんと太字のような季のものが読みこんであります...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...日は落ちて増(ます)かとぞみゆる春の水 几董これは湖水なり沼なりもしくは大きな川なりの景色でありましょう...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...俳句の技倆からいったら几董以上といってもいいかと思います...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...ともかく、几董、召波、大魯あたりはあまり力に甲乙のない天明時代の作家であります...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...元日の酔詫に来る二月かな 几董几董のことは前条に申しました...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
......
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...蕪村の下に几董、月居、田福、百池等の弟子達があります...
高浜虚子 「俳句とはどんなものか」
...几董、沼波、大魯の句を鑑賞する...
種田山頭火 「其中日記」
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正岡子規 「俳諧大要」
...例へば生きて世に人の年忌や初茄子(はつなすび)几董と言へる句の如き...
正岡子規 「俳諧大要」
...この几董(きとう)の句にても「生きて世に」と屈折したる詞(ことば)の働きより「人の年忌や」とよそよそしくものしたる最後に「初茄子」と何心なく置きたるが如くにて...
正岡子規 「俳諧大要」
...几董は師号を継ぎ三世夜半亭を称(とな)う...
正岡子規 「俳人蕪村」
...門弟にも高几董(こうきとう)...
正岡子規 「俳人蕪村」
...几董は師号を継ぎ三世夜半亭を称(とな)ふ...
正岡子規 「俳人蕪村」
...余もいまだ十分の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事太祇(たいぎ)蕪村(ぶそん)几董(きとう)にも勝るかと思ふ...
正岡子規 「墨汁一滴」
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