...八間(はちけん)の明りに照らされながら...
芥川龍之介 「鼠小僧次郎吉」
...岸と相距ることわづかに七八間...
大町桂月 「赤城山」
...深さ丈餘、幅七八間、陸前海岸の平野に延びて、名取川を貫き、阿武隈川の川口に至りて止む...
大町桂月 「金華山」
...やっと四間に八間くらいの至って貧弱なものであった...
相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として」
...八間ばかりも離れた森のすぐ側の...
橘外男 「逗子物語」
...八間ぐらいはあるのではなかろうかと想像しました...
橘外男 「棚田裁判長の怪死」
...四十八間ある万年橋の上を一足に飛び越えたか...
中里介山 「大菩薩峠」
...鬼の棲(す)むちょう鈴鹿の山を、ことさらに夜になって越えなくとも、坂の下には大竹小竹(おおたけこたけ)といって、間口十八間、奥行これに叶(かな)う名代(なだい)の旅籠屋(はたごや)もあるのだから、竜之助一人を泊めて狭しとするでもなかろうに、他目(わきめ)もふらず、とうとう坂の下の宿を通り越してしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...大黒より十六間井より二十八間小判千六百枚大判二百三十枚外に――そんなことが達筆な細字で書き下してあるではありませんか...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...若い頃長崎にゐて、唐土(もろこし)の人に年季を入れて教はつたさうで、四文錢を糸で釣つて、五間ぐらゐ離れてその糸を射切つて見せました、――俺のこの手際(てぎは)に比べると、御武家の弓自慢などは、甘いものだ――などと言つてゐました」「すると、七、八間のところで、三寸ぐらゐの的を射るのは何んでもなかつたわけだな」「百發百中――とか言つてゐました...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...この八間というのは...
村井政善 「蕎麦の味と食い方問題」
...――走り出して七、八間、あッと筒抜けの声が夕暗を流れたかと思うと、男女(ふたり)の姿は、地に張られていた一本の繩に諸足(もろあし)を拯(すく)われて、「しまッた!」と叫びざま、左右へ離れてのめりました...
吉川英治 「江戸三国志」
...流れの幅は七、八間ばかりで、すぐ向うに岩壁が見えますが、とても足で渡り得るような浅瀬ではありません...
吉川英治 「江戸三国志」
...土蔵付きの母屋(おもや)が、八間か九間、家は広いが、吝(けち)ン坊(ぼう)な権内は、ろくに雇人(やといにん)も使っていない...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...ただ見る檜(ひのき)八間四面の磨き抜いた道場に...
吉川英治 「剣難女難」
...それを、七、八間、追い散らしていって悠々と戻ってきた由良の伝吉は、その時、はじめて新造の死骸(しにがら)から血刀を抜いて、身を起している一人の侍に不審の眼をみはったのである...
吉川英治 「剣難女難」
...堤ノ高サ六間、土台十八間...
吉川英治 「新書太閤記」
...見れば其處から七八間下を碓氷川の本流が中高に白渦を卷きながら流れて下つてゐた...
若山牧水 「樹木とその葉」
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