...――いつかも修善寺の温泉宿(ゆやど)で...
泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
...漱石氏が修善寺で発病した時...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...修善寺にては御見舞をうけ難有候...
高浜虚子 「漱石氏と私」
...たしか三年の冬休みに修善寺(しゅぜんじ)へ行ってレーリーの『音響』を読んだ...
寺田寅彦 「科学に志す人へ」
...その修善寺(しゅぜんじ)における数吟のごときは芭蕉の不易の精神に現代の流行の姿を盛ったものと思われる...
寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
...夏目先生の「修善寺日記」には生まれ返った喜びと同時にはるかな彼方(かなた)の世界への憧憬(どうけい)が強く印せられていて...
寺田寅彦 「備忘録」
...レイレーの音響学(サウンド)を持って修善寺へ行ったことがあるがね...
中谷宇吉郎 「先生を囲る話」
...秋は修善寺よりもかえってひっそりしていた...
夏目漱石 「思い出す事など」
...杉本副院長が再度修善寺へ診察に来た時...
夏目漱石 「思い出す事など」
...修善寺に行って、寺の太鼓を余ほど精密に研究したものはあるまい...
夏目漱石 「思い出す事など」
...この看護婦は修善寺(しゅぜんじ)以来余が病院を出るまで半年(はんねん)の間始終(しじゅう)余の傍(そば)に附き切りに附いていた女である...
夏目漱石 「思い出す事など」
...まず沼津から修善寺(しゅぜんじ)へ出て...
夏目漱石 「行人」
...先生は、記者時代には、相当に旅行されているし、日露戦役には従軍もされ、世界大戦後には欧洲旅行までされて、なかなかどうして旅嫌いどころではなく、普通人の何十倍もの旅をされたわけであり、銚子、磯部、成東、長瀞(ながとろ)、国府津、箱根、湯河原、熱海、修善寺、等へ殆ど毎年の様に旅行されていた...
額田六福 「解説 趣味を通じての先生」
...修善寺まで三時間もあるのですが...
林芙美子 「大島行」
...三月二十四日(火曜)三時に修善寺を出て...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...修善寺の温泉へ行くと云つてゐた...
牧野信一 「毒気」
...十一月末日、修善寺へ...
正岡容 「小説 圓朝 あとがき」
...修善寺が焼けているのだろうと噂された...
武者金吉 「地震なまず」
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