...俊才、嚢中の錐の如き彼は、直に部将井上九郎光盛をして赤旗を立てて前ましめ、彼自らは河を済り、戦鼓をうつて戦を挑み、平軍の彼が陣を衝かむとするに乗じて光盛等をして、赤旗を倒して白旗を飜し、急に敵軍を夾撃せしめて大に勝ち、遂に長茂をして越後に走らしめたり...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...塩田先生の門下の俊才として知られていた...
海野十三 「蠅男」
...それがために俊才は文字を覚えまたこれを使うのに非常に頭を労するので文明が自然停滞するようになったという学者もあるのでありますが...
高楠順次郎 「東洋文化史における仏教の地位」
...それから河東君は同郷の先輩で文学に志しつつある人に正岡子規なる俊才があって...
高浜虚子 「子規居士と余」
...室町時代前後には彫刻の俊才が皆能面打になってしまったような気さえする...
高村光太郎 「本邦肖像彫刻技法の推移」
...これは當時のユウモア小説の俊才...
太宰治 「『玩具』あとがき」
...自ら師より許されて岩流の一派を開いたその俊才の一人であったが...
直木三十五 「巌流島」
...後進の俊才に待つこと日に日に切なるを覚えて止(や)まなかつたので...
永井荷風 「来訪者」
...十三歳にして漢詩漢文を能(よ)くしたというから儒学的な俊才であったには違いない...
中島敦 「斗南先生」
...「此の華やかな俊才の蝕(むしば)まれた肉体は...
中島敦 「光と風と夢」
...稀に有為(ゆうい)の俊才を生じ...
福沢諭吉 「文明教育論」
...一度氏の客室で會つたことのある二三の官學の俊才も...
正宗白鳥 「昔の西片町の人」
...長子玄亭が蘭軒門下の俊才であったので...
森鴎外 「渋江抽斎」
...講道館の教官たちは「俊才」と折紙をつけたし...
山本周五郎 「新潮記」
...俊才という評判の高い人物だった...
山本周五郎 「日本婦道記」
...どんなに俊才だの人物だのと云われたって...
山本周五郎 「夜明けの辻」
...「蜀にはこんな俊才が何人もおるのかしら」と...
吉川英治 「三国志」
...他の二兄弟もみな俊才の聞えがあった...
吉川英治 「三国志」
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