...俗に七曲りと云ふのは...
岩野泡鳴 「日高十勝の記憶」
...俗に七曲りと云ふのは...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...大小六曲りも七曲りもして...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...白樺の美林(びりん)をめぐる二十七曲りをどうやら切り抜けた末...
海野十三 「キド効果」
...「このさきを海老瀬の七曲りといって...
大鹿卓 「渡良瀬川」
...そして七曲りの紅葉谷へ下りる(笹栗新四国八十八ヶ所...
種田山頭火 「行乞記」
...笹子峠の七曲りというのへ来た時分に...
中里介山 「大菩薩峠」
...七曲りの坂で事故をおこして...
久生十蘭 「喪服」
...七曲りというところがある...
矢田津世子 「凍雲」
...昔ながらに七曲りの辻に立っている...
矢田津世子 「凍雲」
...七曲りの松の木を眺め...
矢田津世子 「凍雲」
...この七曲りの松の木は...
矢田津世子 「凍雲」
...駅からの往還を町へ三丁手前の七曲りの松の傍まで来た時...
矢田津世子 「凍雲」
...そこは七曲りといって...
山本周五郎 「ちくしょう谷」
...そこから先を七曲りというそうだが...
山本周五郎 「ちくしょう谷」
...七曲りの上へ出る距離は...
山本周五郎 「ちくしょう谷」
...やがて七曲り口の木戸へくると...
吉川英治 「新書太閤記」
...のろしを見るや否、城下に機を待ちかまえていた織田軍は、七曲り口、百曲り口、井之口坂の大手の登り三道を攻め詰めて、その一手は、早くも七曲りの木戸の外まで押しよせていたのであった...
吉川英治 「新書太閤記」
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