...三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある...
日本経済新聞社 「私の履歴書」
...檜垣の家は伊豆七島屈指(くっし)の海産物問屋で...
田畑修一郎 「石ころ路」
...黒潮(くろしほ)を越えて式根の島にあり近づき難し幽明の線十二年頃の事だらうと思ふが近江さん達と伊豆七島の幾つかを廻られたことがある...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...八丈のススキは伊豆の七島で牛の飼い葉として作っているものであるが...
牧野富太郎 「植物記」
...伊豆七島(いずしちとう)における八丈島(はちじょうじま)の南にある小島青ヶ島の原産で...
牧野富太郎 「植物知識」
...改めてお近づきの御返杯だ」七島抜け法印...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...島は七島と申せども...
南方熊楠 「十二支考」
...島は七島と申せども...
南方熊楠 「十二支考」
...阿婆良気は七島よりなるといえど側なる毛無島を合算すると八島となるというらしく毛無と阿婆良気は別だ...
南方熊楠 「十二支考」
...故三嶋正英の『伊豆七島風土細覧』に新島(にいじま)の乱塔場に新しく鶏を放ち飼った土俗を載せある...
南方熊楠 「十二支考」
...余談にわたるが、同氏は旧幕臣で、維新後は北海道開拓使その他に勤務、その後招かれて鹿児島県勧業課長となり在職中に「麑海魚譜」、「七島問答」、及び「十島図譜」の名著を残し、晩年には札幌神社の官司を勤めた...
武者金吉 「地震なまず」
...嘉永三年伊豆七島全圖を著(あらは)して幕府の譴責(けんせき)を受け...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...一方には北緯(ほくい)二十九度以北の七島正月とか...
柳田国男 「海上の道」
...その後私も伊豆七島の研究を手がける因縁があったが...
柳田国男 「故郷七十年」
...それによく似た例は伊豆七島の三宅島(みやけじま)の一部で...
柳田国男 「こども風土記」
...北は七島(とう)から九州の内陸沿岸までは...
柳田国男 「母の手毬歌」
...伊予(いよ)の上七島(かみしちとう)を始め...
柳田国男 「木綿以前の事」
...江の浦は遠州灘駿河灣伊豆七島あたりへ出かくる鰹船の餌料を求めに寄るところで...
若山牧水 「樹木とその葉」
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