...もっと明白にいうと、北の方は勿来関(なこそのせき)、西へ動いて東京から真北の那須、群馬県へ入って四万(しま)温泉のあるところ、それから浅間山、信州の諏訪の辺を通って静岡へ抜け、山梨県を包み、それからいよいよ南の方へ、伊豆半島の突端石廊崎(いろうざき)から、伊豆七島の新島、更に外房州の海岸から外へ六七十キロの海上を点々と綴(つづ)り、鹿島灘の外を通って、元の勿来関へ帰るという大円だ...
海野十三 「空襲下の日本」
...「唯今(ただいま)午後七時三十分、米国空軍の主力は、伊豆七島の南端、三宅島の上空を通過いたして居ります旨(むね)、同島の防空監視哨から報告がございました...
海野十三 「空襲葬送曲」
...黒潮(くろしほ)を越えて式根の島にあり近づき難し幽明の線十二年頃の事だらうと思ふが近江さん達と伊豆七島の幾つかを廻られたことがある...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...八丈のススキは伊豆の七島で牛の飼い葉として作っているものであるが...
牧野富太郎 「植物記」
...これは伊豆七島の三宅島などに行くと幾らでも得られます...
牧野富太郎 「植物記」
...伊豆七島(いずしちとう)における八丈島(はちじょうじま)の南にある小島青ヶ島の原産で...
牧野富太郎 「植物知識」
...改めてお近づきの御返杯だ」七島抜け法印...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...島は七島と申せども...
南方熊楠 「十二支考」
...島は七島と申せども...
南方熊楠 「十二支考」
...阿婆良気(あばらけ)や島は七島の毛無島も湿潤の気なきより起れる名ともいうべくや」とカワラケだらけの来書だった...
南方熊楠 「十二支考」
...故三嶋正英の『伊豆七島風土細覧』に新島(にいじま)の乱塔場に新しく鶏を放ち飼った土俗を載せある...
南方熊楠 「十二支考」
...余談にわたるが、同氏は旧幕臣で、維新後は北海道開拓使その他に勤務、その後招かれて鹿児島県勧業課長となり在職中に「麑海魚譜」、「七島問答」、及び「十島図譜」の名著を残し、晩年には札幌神社の官司を勤めた...
武者金吉 「地震なまず」
...一方には北緯(ほくい)二十九度以北の七島正月とか...
柳田国男 「海上の道」
...その後私も伊豆七島の研究を手がける因縁があったが...
柳田国男 「故郷七十年」
...それによく似た例は伊豆七島の三宅島(みやけじま)の一部で...
柳田国男 「こども風土記」
...月はちがうけれども鹿児島県の方の七島でも...
柳田国男 「年中行事覚書」
...やはり伊豆七島と同じように...
柳田国男 「年中行事覚書」
...伊予(いよ)の上七島(かみしちとう)を始め...
柳田国男 「木綿以前の事」
便利!手書き漢字入力検索