...三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある...
日本経済新聞社 「私の履歴書」
...もっと明白にいうと、北の方は勿来関(なこそのせき)、西へ動いて東京から真北の那須、群馬県へ入って四万(しま)温泉のあるところ、それから浅間山、信州の諏訪の辺を通って静岡へ抜け、山梨県を包み、それからいよいよ南の方へ、伊豆半島の突端石廊崎(いろうざき)から、伊豆七島の新島、更に外房州の海岸から外へ六七十キロの海上を点々と綴(つづ)り、鹿島灘の外を通って、元の勿来関へ帰るという大円だ...
海野十三 「空襲下の日本」
...「唯今(ただいま)午後七時三十分、米国空軍の主力は、伊豆七島の南端、三宅島の上空を通過いたして居ります旨(むね)、同島の防空監視哨から報告がございました...
海野十三 「空襲葬送曲」
...伊豆七島へ差しおくる囚人が七人...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...これは伊豆七島の三宅島などに行くと幾らでも得られます...
牧野富太郎 「植物記」
...伊豆七島(いずしちとう)における八丈島(はちじょうじま)の南にある小島青ヶ島の原産で...
牧野富太郎 「植物知識」
...改めてお近づきの御返杯だ」七島抜け法印...
三上於菟吉 「雪之丞変化」
...島は七島と申せども...
南方熊楠 「十二支考」
...阿婆良気(あばらけ)や島は七島の毛無島も湿潤の気なきより起れる名ともいうべくや」とカワラケだらけの来書だった...
南方熊楠 「十二支考」
...故三嶋正英の『伊豆七島風土細覧』に新島(にいじま)の乱塔場に新しく鶏を放ち飼った土俗を載せある...
南方熊楠 「十二支考」
...一方には北緯(ほくい)二十九度以北の七島正月とか...
柳田国男 「海上の道」
...伊豆七島の経営を研究するため自ら赴いて島の代官となり...
柳田国男 「故郷七十年」
...その後私も伊豆七島の研究を手がける因縁があったが...
柳田国男 「故郷七十年」
...それによく似た例は伊豆七島の三宅島(みやけじま)の一部で...
柳田国男 「こども風土記」
...伊豆七島の日忌様(ひいみさま)私の話も長くなったが...
柳田国男 「年中行事覚書」
...月はちがうけれども鹿児島県の方の七島でも...
柳田国男 「年中行事覚書」
...伊予(いよ)の上七島(かみしちとう)を始め...
柳田国男 「木綿以前の事」
...伊豆七島のうち二三の島がその潮流のうへにくつきりと浮んで見えた...
若山牧水 「樹木とその葉」
便利!手書き漢字入力検索