...海抜約二千米突(メートル)以上は、雑木次第に減じ、ミヤマカンバ、ミヤマハンノキ、ミヤマナナカマド等の粗く生えたる土地、ここをぬけると上宮川原(かみみやがわら)「信濃、上宮川原、嘉門次」、左の方数丁には、南穂高の南東隅に当る赭(しゃ)色の絶嶂(ぜっしょう)...
鵜殿正雄 「穂高岳槍ヶ岳縦走記」
...「ではヤマ族君」と相手の声がいった...
海野十三 「海底都市」
...また木の國(くに)の造(みやつこ)の祖先のウヅ彦の妹のヤマシタカゲ姫と結婚して生んだ子はタケシウチの宿禰です...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...俺もヤマセ気味で...
高見順 「いやな感じ」
...「アコネノヤマハエンカノケン」親子二部合唱の大声で...
田中英光 「箱根の山」
...よっぽどヤマしいところがある」慢心和尚は...
中里介山 「大菩薩峠」
...じっとそのギヤマンの小コップに盛られた黄金色を見つめたまま...
中里介山 「大菩薩峠」
...和蘭(オランダ)風と言ふか、平次には見當もつきませんが、疊の上に異樣な模樣を織り出した絨毯(じうたん)を敷いて、唐木(からき)の机、ギヤマンの鏡、金銀の珠玉に細工をした手廻りの小道具まで一介の町方御用聞の平次に取つては、生れて初めて見る品ばかりです...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...けれども西南戦争までに、わずかにコトニ、ヤマハナ、ハツサップに四百戸たらずを移したに過ぎないから、成功した妙策とは評しがたい...
服部之総 「望郷」
...夜着(ピヂヤマ)の上に外套を羽織つて...
牧野信一 「海路」
...このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...ゆえに我邦蜜柑類の専門大家で最も信頼すべき知識を豊富に持っていた田村利親氏は特にこれをヤマトタチバナと称していたが...
牧野富太郎 「植物記」
...その輸出ユリの第一はヤマユリ...
牧野富太郎 「植物知識」
...ヨーアヤマダラマダラ(以下訳語)汝は(普通の)父母の子か...
南方熊楠 「十二支考」
...片方には水晶のように透明なギヤマンの...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...ヤマト民族が到底ブル根性を離れ得ないことを示しているのではあるまいか...
夢野久作 「街頭から見た新東京の裏面」
...「……それでは……サヤマ先生は……暫くお帰りになりませんね」女は何気なく答えた...
夢野久作 「暗黒公使」
...水ノ流ルル如ク決シテ少シモ過(アヤマ)ツコトナシ...
吉川英治 「新書太閤記」
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