...義雄の初めて札幌並びに北海道に親しむ一つの手づるであつたのに――且...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...それからそれへの手づるはいくらでも出て来よう...
大杉栄 「日本脱出記」
...自転車は久子としたしかった自転車屋の娘の手づるで...
壺井栄 「二十四の瞳」
...早くも手づるつとうて陸軍の主脳なる参謀本部の囲い内(うち)に乗り込み...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...私は何とか手づるを求めて秋山氏の「濟生三方」を見たくてならない...
徳永直 「光をかかぐる人々」
...一寸手づるがあるのをさいはひ...
水野仙子 「四十餘日」
...役場の手づるでアヤを方面委員の手で療治させよう...
「小祝の一家」
...なんの手づるとてない素浪人...
吉川英治 「三国志」
...知り人の仮面師(めんし)の手づるで...
吉川英治 「私本太平記」
...彼らは准后さまに取入って、官符(かんぷ)をいただき、ご朱印船(しゅいんぶね)と公称して、あちらの国からさまざまな物を交易して帰り、その一部を、内裏の后町(きさきまち)で捌(さば)いたあとを、市(いち)にも出して、巨利をせしめながら、後宮の女たちからは、大受けに受けておりますので」「聞いてはいるが、あれも准后のおとりもちか」「そのほか、准后さまを介(かい)してなら、どんなことも叶(かな)うと見て、何かと思惑(おもわく)を抱く輩(やから)は、手づるを求め、縁故をたどり、いまや三位の廉子さまでなければ、夜も日も明けぬというほどな崇(あが)め方なのでして」「なるほど」「師直は、つねづね、目をつけておりました...
吉川英治 「私本太平記」
...またふたつには往年の知己蜂須賀彦右衛門というよい手づるもある...
吉川英治 「新書太閤記」
...……が、政秀どのはあのひとが幼い時に、合戦で亡くなられ、身寄りや郎党たちもちり失(う)せて、ひと頃、わたくしの兄の身近な者が養っておりましたが、十三歳の折、手づるがあって、安土(あづち)のお城へ御奉公にあがりました...
吉川英治 「新書太閤記」
...あらゆる手づるの家へもう泊りこんでいる...
吉川英治 「新・水滸伝」
...『御両所とも、お変りもなく、祝着(しゅうちゃく)に存じまする』『や、貴僧は』『赤穂表の遠林寺の祐海(ゆうかい)にござります』『オオ、和尚か』『大石様のお旨をうけ、江戸表へまいりまして、御舎弟大学様のお取り立てについて、いろいろと、手づるを求め、奔走いたしましたなれど、微力(びりょく)、如何とも望みを達せず、実は不首尾な御返事を持って、ただ今、お立ち寄り申したところでござります』『それを聞いて、主税どのは、失望のあまり落涙して居られたのか』『いいえ……ちと他(ほか)に』『他にとは、何か大事でも?』『家庭の些事(さじ)、おかまい下されますな』『家庭の事といえば、なお聞きずてにならぬ...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...大炊(おおい)御門家の手づるから...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...旅籠(はたご)は、不経済と考えて、順慶堀に近い馬具師の家の離れを借り、食事は外でし、見たいものを見、家へは帰ったり帰らなかったり、好みどおりな生活をしている間に、よい知己を得、手づるを見つけ、扶持(ふち)の口にありつこうと心がけていた...
吉川英治 「宮本武蔵」
...紐屋か」「藤六どんの手づるで...
吉川英治 「宮本武蔵」
...あそこの石仏の価値を推測する手づるにはまるでならなかったのである...
和辻哲郎 「麦積山塑像の示唆するもの」
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