...彼女は将来、彼女の家族の後胤を継ぐことになるだろう...
...彼は彼の帝国の後胤である...
...彼は後胤を持たないので、遺産を誰に残すか困っている...
...近年の調査によると、日本の後胤は年々減少している...
...王朝の後胤は、それぞれ王位継承のために競い合った...
...その国王の正統なる後胤はこれを領有すべきもので...
大隈重信 「大戦乱後の国際平和」
...是佳運を後胤に及ばしめ給はんが為なり...
太宰治 「右大臣実朝」
...甲州の逸見冠者十七代の後胤(こういん)というところから甲斐源氏を取って...
中里介山 「大菩薩峠」
...爰阿波宰相中將(信成卿亂逆之張本)家人河勾八郎家賢(腰賢瀧口季後胤)引率伴類六十餘人...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...元久二年六月廿一日の條に牧御方請朝雅(去年爲畠山六郎被惡口)讒訴、被鬱胸之、可誅重忠父子之由、内々有計議、先遠州被仰此事於相州並式部烝時房主等、兩客被申云、重忠治承四年以來、專忠直間、右大將軍依鑒其志給、可奉護後胤之旨、被遺慇懃御詞者也、就中雖候于金吾將軍御方、能員合戰之時、參御方抽其忠、是併重御父子禮之故也(重忠者遠州聟也)而今以何憤可令叛逆哉、若被弃度々勳功、被加楚忽誅戮者、定可及後悔、糺犯否之眞僞之後、有其沙汰、不可停滯歟云々同廿三日の條にも相州被申云、重忠弟親類大略以在他所、相從于戰場之者、僅百餘輩也、然者企謀反事、已爲虚誕、若依讒訴逢誅戮歟、太以不便、斬首持來于陣頭、見之不忘年來合眼之眤、悲涙難禁云々とあり若此等の記述にして事實ならば、義時が重忠を以て忠孝節烈の士となしこれを敬愛しこれを辯護すること至れりといふべし...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...この幽霊になつた俳優が川上音二郎五代の後胤(こういん)といふのである...
正岡子規 「墨汁一滴」
...姫が本国で和邇を族霊とし和邇の後胤と自信せる姫が子を産む時自ら和邇のごとく匍匐(は)ったのであろう...
南方熊楠 「十二支考」
...宋帝の後胤(こういん)趙生てふ貧民が...
南方熊楠 「十二支考」
...最初の動植が同姓にして如何ぞ無数の後胤を遺し得んや...
南方熊楠 「十二支考」
...天女の後胤てふ美女争うて迎え入れ...
南方熊楠 「十二支考」
...自ら手を付けて生ませた後胤か...
南方熊楠 「十二支考」
...『西域記』十二にクサタナ国(今のコーテン)王は毘沙門天の後胤(こういん)という...
南方熊楠 「十二支考」
...ついに毘沙門の後胤と称する国王も出で来れば...
南方熊楠 「十二支考」
...その他の場合には羽衣天女の後胤(こういん)は...
柳田国男 「年中行事覚書」
...中山靖王(ちゅうざんせいおう)の後胤(こういん)であります...
吉川英治 「三国志」
...相国曹参(そうさん)が後胤(こういん)で...
吉川英治 「三国志」
...曹操は相国(しょうこく)曹参(そうさん)の後胤(こういん)で...
吉川英治 「三国志」
...蜀の劉璋(りゅうしょう)は漢の魯恭王(ろきょうおう)が後胤といわれ...
吉川英治 「三国志」
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