...「新田左中将常に召されて内裏の御警固にぞ候はれける...
薄田泣菫 「茶話」
...「人のことではそう熱心になれない問題だから」などと左中将は冷淡に言っていた...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...貝姫は櫛笥左中将隆致(くしげさちゆうじやうたかむね)の女で...
森鴎外 「椙原品」
...この顕家もまだ十四歳の左中将の若者であったころ...
吉川英治 「私本太平記」
...左中将へつかわしてもよいの」と...
吉川英治 「私本太平記」
...左中将どの...
吉川英治 「私本太平記」
...「左中将どのへ、今日は親しくお会いなされましてございまするか」やがて室に灯を見ると、左近は案じ顔の下から、正成へそっとたずねた...
吉川英治 「私本太平記」
...いつの日尊氏がそう出て来るか――」「でも、それを待たず、左中将どの以下、みな播磨から西国へまで、攻めてくだるのでございましょう...
吉川英治 「私本太平記」
...……もし左中将どのに...
吉川英治 「私本太平記」
...左中将義貞をさして...
吉川英治 「私本太平記」
...――しかし左中将どのが...
吉川英治 「私本太平記」
...顕家の奥州軍は、はや、都をひきはらって、みちのくへ帰る――と町ではさかんに沙汰されているのに、「左中将どのは、まだか」「まだ播磨(はりま)への御発向にはいたらぬのか」と一面では、しきりに、そのほうがいぶかられていた...
吉川英治 「私本太平記」
...左中将どの」「や...
吉川英治 「私本太平記」
...「いや何、左中将どの...
吉川英治 「私本太平記」
...左中将どのも都へさしてムチ打って落ち行くしか途もあるまい...
吉川英治 「私本太平記」
...隆光左中将定平(さだひら)中御門(なかみかど)ノ宰相(さいしょう)宣明(のぶあき)園の中将基隆(もとたか)甘露寺左大弁(さだいべん)藤長一条ノ頭(とう)の中将行房坊門の清忠等々の殿上(てんじょう)から...
吉川英治 「私本太平記」
...「オ、左中将よの...
吉川英治 「私本太平記」
...それには贈三位左中将(ぞうさんみさちゅうじょう)とございました)と...
吉川英治 「梅里先生行状記」
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