...二、噴火の沿革【噴火の舊記】舊記に依るに今を去ること千二百六年和銅元年始て隅州向島湧出せりとあり、其後靈龜、養老、天平、應仁、文明年間にも或は噴火し、或は温泉湧出し、新島突如として沿海に隆出せり等の記事あり、大日本地震史料によれば天平九年十月二十三日大隅國大地震、次に天平神護二年六月五日大隅國神造新島地震動止まず居民多く流亡せりとあり、是より以後慶長元年に至る迄大隅、薩摩に大地震の記事なし...
石川成章 「櫻島噴火の概況」
...お鈴の兄龜一郎が泣き附くやうに頻りに懇願したので決つたこと...
岩野泡鳴 「泡鳴五部作」
...辨天樣の池畔などで、ぐつたり寢そべつて甲羅を干してゐるのは、あれは、いしがめとでもいふのであらうか、繪本には時々、浦島さんが、あの石龜の脊に乘つて小手をかざし、はるか龍宮を眺めてゐる繪があるやうだが、あんな龜は、海へ這入つたとたんに鹹水にむせて頓死するだらう...
太宰治 「お伽草紙」
...あの龜なのである...
太宰治 「お伽草紙」
...」と龜は本氣にふくれて...
太宰治 「お伽草紙」
...」龜はゆらゆら沈下する...
太宰治 「お伽草紙」
...あの龜が責任を負ふ必要はないやうに思はれる...
太宰治 「お伽草紙」
...われわれの善良な龜は...
太宰治 「お伽草紙」
...三國志に就て言はんに、余は未だ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本等を對照し、更に北史、通典、太平御覽、册府元龜等、此記事を引用せる諸書を參考して其の異同の少からざるに驚きたり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...省線沿線には龜有...
永井荷風 「荷風戰後日歴 第一」
...いつもボロドテラを引つかけて居るので一見鼻持もならないのであるがその仲間には聞えた本所竪川の龜といふので磊落不覊とでもいはふか酒ばかり飮んで居る...
長塚節 「我が庭」
...七「あ」平次は鶴龜(つるかめ)の松の前に...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...二龜澤町の加納屋に行つたのは...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...『それで十一日目(じふいちにちめ)には日曜(にちえふ)だつたでせう』『無論(むろん)然(さ)うでした』と海龜(うみがめ)...
レウィス、キァロル Lewis Carroll 丸山英觀訳 「愛ちやんの夢物語」
...『どうか説明(せつめい)して貰(もら)ひたいものだ』と海龜(うみがめ)が云(い)ひました...
レウィス、キァロル Lewis Carroll 丸山英觀訳 「愛ちやんの夢物語」
...不幸(ふかう)な海龜(うみがめ)の絶(た)えざる歔欷(すゝりなき)とがゴタ/\に其處(そこ)いらの空中(くうちゆう)に浮(うか)んで見(み)えました...
レウィス、キァロル Lewis Carroll 丸山英觀訳 「愛ちやんの夢物語」
...龜さんが嫁さん貰ははつた...
水上滝太郎 「大阪の宿」
...ちつとも姿を見せなかつた龜の子が...
水上滝太郎 「大阪の宿」
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