...学黌(がくこう)を設け...
江見水蔭 「備前天一坊」
...慊堂は昌平黌(しょうへいこう)の教授で弘化元年に歿した事は識者の知る所...
永井荷風 「向嶋」
...特給官舎於昌平黌内」と云ふことになつた従母婿(じゆうぼせい)の二洲尾藤良佐(びとうりやうさ)が住んでゐた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...昌平辺先生とは昌平黌の祭酒博士を謂ふ...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...黌職(くわうしよく)を辞し...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...始て諸国に同名の黌舎(くわうしや)があつたことを知つた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...又昌平黌に於ける進退出処も略(ほゞ)窺ひ知ることが出来る...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...昌平黌の司貨(しくわ)を職としてゐた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...是月孫本町温知医黌の医学教諭となり...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...かつて昌平黌(しょうへいこう)の舎長となったこともある...
森鴎外 「渋江抽斎」
...嘉永二年以来昌平黌(しょうへいこう)の教授になっていた...
森鴎外 「渋江抽斎」
...昌平黌(しやうへいくわう)に講説し...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...ついで謙助も昌平黌出役になったので...
森鴎外 「安井夫人」
...そのころ昌平黌(しょうへいこう)の教官で平松なにがしという学者がいた...
山本周五郎 「菊千代抄」
...儒学は江戸の昌平黌(しょうへいこう)で古賀同庵(どうあん)につき...
山本周五郎 「新潮記」
...いまにきっと昌平黌でも人の上に出てみせます...
山本周五郎 「日本婦道記」
...「暇があったら昌平黌(しょうへいこう)へやって貰うんだね」藤島英之助は口の重い調子でそう云った...
山本周五郎 「はたし状」
...「昌平黌(しょうへいこう)じゃあ松室寧斎(まつむろねいさい)のまな弟子だったんだぜ」「学問と瓦版とはまるで違うんだが...
山本周五郎 「へちまの木」
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