...そしてそれ等の単なる哲学が再び哲学以上のものとなり、所謂思想に於ても生活に於ても、仏陀の真精神を我々に頒ち与へるものとして現はれ来つたのは、これが我が日本へ渡来してから後のこと、より詳しくは大凡そ鎌倉期に入つて、道元、明恵、法然、親鸞、日蓮の如き他の民族の歴史にあつては、千年二千年の間に唯一人の出現を期待することすら容易でない程の、夫々に全く釈尊其人の御再来かとも思はれる程の、あの崇高偉大な宗教的人格が相次いで降臨されるに至つてから後のことでなければならぬ...
生田長江 「ニイチエ雑観」
...双鸞菊(とりかぶと)...
上田敏 上田敏訳 「牧羊神」
...牧師の悪妻8・6サンデー毎日親鸞聖人(しやうにん)の室玉日(たまひ)姫のむかしは別だが...
薄田泣菫 「茶話」
...そこで親鸞は諸経典を根拠として真実の教と虚偽の教とを分別し決著して外教邪偽の異執を教誡する...
三木清 「親鸞」
...キリストもシャカも老子(ろうし)も孔子(こうし)も空海(くうかい)も日蓮(にちれん)も道元(どうげん)も親鸞(しんらん)もガンジイも歩いた...
三好十郎 「歩くこと」
...親鸞がこの寺に来て滞在しいよいよ帰ろうという日に...
柳田國男 「日本の伝説」
...幼い親鸞(しんらん)の第一声とは...
吉川英治 「親鸞」
...――だが親鸞は、そうした弟子たちの沈んだ顔いろを見ると、それが自分の悲しみの反射だと知って、心を取り直したものとみえる...
吉川英治 「親鸞」
...ふたたびお膝下(ひざもと)へお詫びしに参ります」親鸞は瞑目していた眸(ひとみ)をうすく開いて...
吉川英治 「親鸞」
...――光実と了智と――ふたりの名だたる源氏の武将が、今では、よそ目にもうらやましい睦(むつ)まじさで、親鸞のもとに、法悦の日を送っているのを見ると、この越後や隣国の人々は、さらに親鸞に帰依(きえ)の心を厚くした...
吉川英治 「親鸞」
...それともほかに」親鸞の懐かしむ様子に...
吉川英治 「親鸞」
...先に、起ち上がったのは誰だ」「甲賀坊でござる」「甲賀坊、親鸞を見たのか」「見ました」五「――見たというても、その親鸞の姿がどこにも見えぬのは何としたものだ」「いや、たしかに」「ではどこに――」「あの爼板岩(まないたいわ)の辺りから――そういえば沢辺(さわべ)のほうへ降りたのかも知れぬ」弁円と甲賀坊の押し問答を聞きながら、その親鸞の影を、きょろきょろ眼(まなこ)で探しているほかの者たちは、「不審な」と、つぶやきあって、「幻ではないか」迷路の辻に立ち迷っているような気がして、何か自身の錯覚(さっかく)に、背すじを寒いものに襲われた...
吉川英治 「親鸞」
...常々彼が思い憎んでいた親鸞ではなかったのである...
吉川英治 「親鸞」
...弟子僧に、硯(すずり)や筆や紙を運ぶようにいいつけて、親鸞は、六文字の名号を書き、それをお吉に与えて、「これからは、ここへもお出でにならぬがよい...
吉川英治 「親鸞」
...「親鸞の水脈」を大法輪十月号...
吉川英治 「年譜」
...「親鸞」映画化...
吉川英治 「年譜」
...たとえば我々は親鸞(しんらん)においても聖霊によって高められた一人の仲保者を認め得よう...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...親鸞の説く慈悲はかくのごとく「人間のものならぬ」大いなる愛である...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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