...家には祖先の手柄によって頂戴している高禄があり...
田中貢太郎 「人面瘡物語」
...大和の甲斐さん枝も鳴らさぬ泰平の浮世に十万余石の高禄貪り家来に文武の世話もなさずに飲み食いばかりに世の中送るは虫けら同然高を差出す仲間の頭だそんな心じゃ腹も切れまい縄をたよりに首でも縊(くく)って死んだがよかろう上杉親方...
中里介山 「大菩薩峠」
...郡宰となり二百五十石の高禄を食むに至つたのは当時としては異常な出世であつたに違ひないが...
中村憲吉 「頼杏坪先生」
...一介の郷士にしてたとい名目上とはいえ(「新地」すなわち未開墾地を給された)百石の高禄に擬せられた栄誉の根源は...
服部之総 「加波山」
...高禄で彼らを召しかかえたであろう人々も...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...そのある者は器量次第すこぶる高禄を得たがために...
柳田國男 「名字の話」
...なりひらは高禄の御武家様が御忍びと言った形...
山中貞雄 「なりひら小僧」
...では千五百石の高禄を与えると申しても...
吉川英治 「剣難女難」
...他家へ仕えて三百貫の高禄にありつき...
吉川英治 「新書太閤記」
...後に紀州家に仕えて五千石の高禄をうけたといわれるが...
吉川英治 「新書太閤記」
...これで高禄を食(は)んでいる身かと考えると...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...高禄をむさぼり居った身でありながら...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...内海にはべつに高禄をやることにした...
吉川英治 「随筆 宮本武蔵」
...あれば忽ち、家の子郎党の厄介者付きでも、何百石、何千石の高禄で、すぐ売れ口がついてしまう...
吉川英治 「宮本武蔵」
...兵庫は二十歳を出ると間もなく、加藤清正に懇望されて、破格な高禄で、いちど肥後へ召抱えられてゆき、禄三千石を喰(は)んで熊本へ居着くことになっていたが――関ヶ原以後の――いわゆる関東お味方組と、上方(かみがた)加担の大名との色わけには、複雑極まる政治的な底流があるので去年、(宗家の大祖父が危篤のため)というよい口実を得た折に、いちど大和へ帰り、その以後は、(なお、修行の望みあれば)と称して、それなり肥後へ帰らず、一両年のあいだ諸国を修行にあるいて、去年からこの江戸柳生の叔父の許に、足をとめている身であった...
吉川英治 「宮本武蔵」
...高禄にて聘(へい)せられた折――お孫のために故人の石舟斎様が...
吉川英治 「宮本武蔵」
...上様より戴く高禄に安んじ...
吉川英治 「柳生月影抄」
...初めて数百石より数千石に至る高禄がある...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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