...おとうさまてばヨウおとうさま」と振り分け髪はつかまりたる中将の膝を頡頏台(はねだい)にしてからだを上下(うえした)に揺すりながら...
徳冨蘆花 「小説 不如帰」
...河野敏鎌氏を中心として大隈伯に頡頏せむとしたりきされど伯は次第に之れを同化して終に忠實なる大隈黨たらしめたりしに非ずや例へば伯が二十二年の入閣に際して...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...彼れは傲然として飽くまで沼間と頡頏せむとせり以て其抱負の凡ならざるを諒す可し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...河野敏鎌氏を中心として大隈伯に頡頏せむとしたりきされど伯は次第に之れを同化して終に忠実なる大隈党たらしめたりしに非ずや例へば伯が二十二年の入閣に際して...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...彼れは傲然として飽くまで沼間と頡頏せむとせり以て其抱負の凡ならざるを諒す可し...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...各人を本来の地位に復せしめながらあらゆる頡頏(けっこう)の萌芽(ほうが)を根絶し...
ビクトル・ユーゴー Victor Hugo 豊島与志雄訳 「レ・ミゼラブル」
...当時池之端数寄屋町の芸者は新柳二橋の妓と頡頏(けっこう)して其品致を下さなかった...
永井荷風 「上野」
...国貞は天明六年に生れ元治(げんじ)元年七十九歳を以て歿したればその長寿とその制作の夥(おびただ)しきは正に葛飾北斎(かつしかほくさい)と頡頏(きっこう)し得べし...
永井荷風 「江戸芸術論」
...英山は文化初年鳥居清長歿し続いて喜多川歌麿世を去りし後(のち)初めは豊国と並び後には北斎と頡頏(きっこう)して一時(いちじ)浮世絵界の牛耳(ぎゅうじ)を把(と)れり...
永井荷風 「江戸芸術論」
...その交際の権利もまた頡頏すべからざるなり...
福沢諭吉 「学者安心論」
...其時には我々も一政黨を團結して他の政黨と頡頏(けつかう)せんものをと思ひ...
福沢諭吉 「帝室論」
...恰も帝室に頡頏するが如くに見へ...
福沢諭吉 「帝室論」
...暗に其角と頡頏(けっこう)している...
正岡子規 「俳句上の京と江戸」
...不自由な姿勢の夫の力とは頡頏(けっこう)した...
山川方夫 「あるドライブ」
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