例文・使い方一覧でみる「順徳」の意味


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......   の読み方
饗庭篁村 「木曾道中記」

...順徳院の御製に(承久のみだれに佐渡へ遷幸の時なり)「都(みやこ)をばさすらへ出(いで)し今宵(こよひ)しもうき身名立(なだち)の月を見る哉(かな)」▲直江津(なほえのつ)今の高田の海浜(かいひん)をいふ...   順徳院の御製に「都をばさすらへ出し今宵しもうき身名立の月を見る哉」▲直江津今の高田の海浜をいふの読み方
京山人百樹刪定 「北越雪譜」

...寺泊(てらどまり)にのこる順徳帝(じゆんとくてい)の鳳跡(おんあと)...   寺泊にのこる順徳帝の鳳跡の読み方
京山人百樹刪定 「北越雪譜」

...いかにも大寺にて祈祷の二字を大書(たいしよ)したる竪額(たてがく)は 順徳院の震筆(しんひつ)なりとぞ...   いかにも大寺にて祈祷の二字を大書したる竪額は 順徳院の震筆なりとぞの読み方
京山人百樹刪定 「北越雪譜」

...順徳の三帝を祭神として...   順徳の三帝を祭神としての読み方
谷崎潤一郎 「蘆刈」

...順徳院の建保五年に高野山第三十七世執行検校法橋上人位に擢(ぬき)んでられたというから...   順徳院の建保五年に高野山第三十七世執行検校法橋上人位に擢んでられたというからの読み方
谷崎潤一郎 「覚海上人天狗になる事」

...順徳院の建保年間...   順徳院の建保年間の読み方
中里介山 「法然行伝」

...真野の山陵は佐渡に残された順徳院のそれである...   真野の山陵は佐渡に残された順徳院のそれであるの読み方
平野萬里 「晶子鑑賞」

...前にあげた圓位と順徳院の真野の山陵の場合と全く同一で五百年を隔てて古への薄幸な帝王を忍ぶ悲壮ではあるが冷静な心持である...   前にあげた圓位と順徳院の真野の山陵の場合と全く同一で五百年を隔てて古への薄幸な帝王を忍ぶ悲壮ではあるが冷静な心持であるの読み方
平野萬里 「晶子鑑賞」

...作者はしかし佐渡へ渡らんとして第一に思つたのは順徳院の御上であつた...   作者はしかし佐渡へ渡らんとして第一に思つたのは順徳院の御上であつたの読み方
平野萬里 「晶子鑑賞」

...順徳帝のことに言い及びましたら「絶対削除」と朱を加えられました...   順徳帝のことに言い及びましたら「絶対削除」と朱を加えられましたの読み方
柳宗悦 「手仕事の日本」

...昔は順徳帝を始め...   昔は順徳帝を始めの読み方
柳宗悦 「手仕事の日本」

...昔順徳天皇がこの島にお出でになった頃...   昔順徳天皇がこの島にお出でになった頃の読み方
柳田國男 「日本の伝説」

...かつて、承久の帝政回復の覆(くつがえ)りから、時の北条義時のため、後鳥羽上皇は隠岐(おき)ノ島へ、順徳、土御門(つちみかど)の二上皇も佐渡や土佐へ流された――宮方敗戦の深刻な悪夢は、百年後の今も深くきざみ込まれている...   かつて、承久の帝政回復の覆りから、時の北条義時のため、後鳥羽上皇は隠岐ノ島へ、順徳、土御門の二上皇も佐渡や土佐へ流された――宮方敗戦の深刻な悪夢は、百年後の今も深くきざみ込まれているの読み方
吉川英治 「私本太平記」

...順徳上皇を佐渡ヶ島へ...   順徳上皇を佐渡ヶ島への読み方
吉川英治 「私本太平記」

...この佐渡へ流され給うた順徳(じゅんとく)上皇の黒木(くろき)ノ御所(ごしょ)やら...   この佐渡へ流され給うた順徳上皇の黒木ノ御所やらの読み方
吉川英治 「私本太平記」

...順徳天皇を佐渡へ流すというような社会的大事件があったりして...   順徳天皇を佐渡へ流すというような社会的大事件があったりしての読み方
吉川英治 「親鸞聖人について」

...流謫(るたく)のお方を後鳥羽院(ごとばいん)としたのは全く私の思いちがいで「順徳天皇」でなければならない...   流謫のお方を後鳥羽院としたのは全く私の思いちがいで「順徳天皇」でなければならないの読み方
吉川英治 「随筆 私本太平記」

「順徳」の読みかた

「順徳」の書き方・書き順

いろんなフォントで「順徳」


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