...『隋書』において臣の語が民の義に用いてないことはいうまでもないから...
津田左右吉 「日本歴史の研究に於ける科学的態度」
...隋代まで保存されてあつた書籍の目録が附いて居る...
内藤湖南 「弘法大師の文藝」
...その間に隋書經籍志や史通などにも注意せぬことで...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...隋書經籍志に之を古史と稱してゐるのは...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...これだけでも、隋書經籍志は、劉向、劉の七略に較ぶれば墮落をして居るのであります...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...隋書の志とは申しますものゝ...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...隋志よりも詳しい位で...
内藤湖南 「支那目録學」
...今日の漢志・隋志ぐらゐを目録としての標準としたので...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋志の分類の子目が多少變化した...
内藤湖南 「支那目録學」
...之に對して日本から隋へ送つた國書は日本紀にあつて...
内藤湖南 「聖徳太子」
...隋の文帝は魏晉以來の名族專有の政治を改めて郷官を廢し...
内藤湖南 「聖徳太子」
...全體から言へば支那の書と云ふものは隋から初唐に至つて工妙の極に達したものであつて...
内藤湖南 「北派の書論」
...隋の煬帝(ようだい)長安(ちょうあん)に顕仁宮(けんじんきゅう)を営(いとな)むや河南(かなん)に済渠(さいきょ)を開き堤(つつみ)に柳を植うる事一千三百里という...
永井荷風 「日和下駄」
...模倣をのみこととしたのであって数学のごときも隋唐の制に倣って始めたというに過ぎない...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...汝娑婆(しゃば)に還って大隋天子に告げ...
南方熊楠 「十二支考」
...病源候論は隋の煬帝(やうだい)の大業六年の撰である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...柏軒は隋書を講ぜむことを斎に請うた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...小野妹子(おののいもこ)が隋(ずい)の国から持ってきたと申す説...
吉川英治 「親鸞」
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