...『隋書』において臣の語が民の義に用いてないことはいうまでもないから...
津田左右吉 「日本歴史の研究に於ける科学的態度」
...それがだん/″\隋唐の頃から學問的に發掘物を利用することになりました...
内藤湖南 「近代支那の文化生活」
...舊唐書と云ふものには矢張り隋書と同樣に經籍志と云ふものがあります...
内藤湖南 「弘法大師の文藝」
...隋書の經籍志は、前に申します通り、七部の目録を四部の目録に變へて居りますけれども、其の四部の目録としての總評を、一々部類分けにして附けて居つて、其の總評の仕方は、今日の目から見ると、劉向、劉が本の由來を論じ、得失を論じた如く徹底した考はありませぬ...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...けれどもそれは隋の時にあつた目録ではなくして...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...その書籍も隋書經籍志と同じものを含むのではないかと思はれる...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋志に新たに出來たのは古史・雜史の二つであるが...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋志では之を四部の外に出してゐる...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋書の志類は、單に隋書の志でなく、志だけは五朝の志となつてゐる...
内藤湖南 「支那目録學」
...實際の分類の仕方まで隋志と同じである...
内藤湖南 「支那目録學」
...魏伯陽の時代、即ち後漢の末期から、六朝、晋、南北朝、隋、唐にかけての八百年余にわたる長い年代は、まだ秦前漢時代の神仙怪異の思想が、根強く人々の頭に浸み込んでいた時代である...
中谷宇吉郎 「古代東洋への郷愁」
...(中略)隋と交通するようになつてから...
蜷川新 「天皇」
...この像を南梁様とか隋様とか称したのは...
野間清六 「百済観音と夢殿観音と中宮寺弥勒」
...そして隋書等にインド算書の支那訳書のあったことも明記されている...
三上義夫 「文化史上より見たる日本の数学」
...支那隋の高祖も竜の私生児でもあった者か...
南方熊楠 「十二支考」
...『隋書』煬帝(ようだい)紀...
南方熊楠 「十二支考」
...病源候論は隋の煬帝(やうだい)の大業六年の撰である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...それは隋の統一(589)から半世紀後...
和辻哲郎 「鎖国」
便利!手書き漢字入力検索