...支那の隋に文中子といふ人がありまして...
内藤湖南 「大阪の町人學者富永仲基」
...その間に隋書經籍志や史通などにも注意せぬことで...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...此の方法はやはり隋書の經籍志までは明かに遺つて居ります...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...隋書經籍志を作る時に...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...これだけでも、隋書經籍志は、劉向、劉の七略に較ぶれば墮落をして居るのであります...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...それは隋書の經籍志でもさうであります...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...隋書經籍志に至つて始めて四部の分け方に一定して...
内藤湖南 「支那目録學」
...陰陽志 陰陽圖緯を紀す(隋書經籍志には陰陽圖緯としてゐるが...
内藤湖南 「支那目録學」
...故に王儉の七志は實は九部類に分れると隋書經籍志に云つてゐる...
内藤湖南 「支那目録學」
...次第に隋書經籍志の四部の分類に近くなつてゐることが分る...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋志とも勿論合はない...
内藤湖南 「支那目録學」
...服餌・房中・符圖の三部は隋志と卷數まで同じである...
内藤湖南 「支那目録學」
...そしてこれが正史に入つた結果、爾來四部と一定し、その子目も、多少の變化はあるが、隋志の區分法は、清朝に至るまで行はれることとなつた...
内藤湖南 「支那目録學」
...内容よりの分類は隋志で十分であるが...
内藤湖南 「支那目録學」
...隋の原書は倭王であつたに相違ないが...
内藤湖南 「聖徳太子」
...隋書以下の志が方(まさ)に纔(わづか)に本草経を載せてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...而其最古者隋唐所創...
與謝野寛・與謝野晶子 「満蒙遊記」
...小野妹子(おののいもこ)が隋(ずい)の国から持ってきたと申す説...
吉川英治 「親鸞」
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