...彼は西洋画院派の作品を専門に扱っています...
...昔は画家たちは派をつくっていたので、印象派、写実派、西洋画院派などが存在していました...
...彼は文学院派の研究者で、特に詩に詳しいです...
...及び生活は洋画は勿論院派の日本画にもならないので...
内田魯庵 「硯友社の勃興と道程」
...美術院派の富田渓仙氏に...
薄田泣菫 「茶話」
...興宗といふ畫家が――美術院派の畫家で...
長谷川時雨 「「郭子儀」異變」
...大谷木備一郎(きびいちろう)君等の法学院派...
穂積陳重 「法窓夜話」
...中橋徳五郎君等法学院派の法律家十一名の名をもって「法典実施延期意見」なるものが発表せられた...
穂積陳重 「法窓夜話」
...おなじ宮廷の重臣でも“持明院派(じみょういんは)”と疑われる者は...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院派とは何か...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院派(じみょういんは)のうごきにもある...
吉川英治 「私本太平記」
...十年目ごとに、持明院派、大覚寺派の両方から“かわりばんこ”に皇太子を立て、帝位を交代してゆくという制である...
吉川英治 「私本太平記」
...関東へ媚びを送っている持明院派の方々だろう...
吉川英治 「私本太平記」
...新たに持明院派からべつな天皇を立て...
吉川英治 「私本太平記」
...そうした持明院派の朝(ちょう)に時めく人々のさまは...
吉川英治 「私本太平記」
...立会いに来ていた持明院派の公卿たち九名は...
吉川英治 「私本太平記」
...およそ持明院派の公卿で笑いの洩れぬ門はなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...肉親たちがみな持明院派の公卿だったことの祟(たた)りであったのはいうまでもない...
吉川英治 「私本太平記」
...幼少から持明院派の公卿家庭に育てられてきたのである...
吉川英治 「私本太平記」
...そのころは後醍醐方の圧迫から持明院派はみな日蔭者の貧しさと...
吉川英治 「私本太平記」
...阿州普化宗院派僧(あしゅうふけしゅういんはそう)の印可を焼印(やきいん)した往来手形である...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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