...院宣は遂に彼をして...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...彼は鼓判官知康の院宣を持して来れるに問ひて「わどのを鼓判官と云ふは...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...防ギ申スベキノ旨(ムネ)院宣ヲ下サル云々(ウンヌン)などとある...
吉川英治 「私本太平記」
...三窪(みくぼ)らへ宛てた六通の院宣だった...
吉川英治 「私本太平記」
...院宣をくだし給わるよう...
吉川英治 「私本太平記」
...淀の口より海へのがれ出たはずにござりまする」宿望の院宣はもうお手に入るばかりなのだ...
吉川英治 「私本太平記」
...で、じつはこなたも、極秘の院宣を、いかにせば無事におとどけなしうるか、御使(みつかい)の賢俊(けんしゅん)御坊も、おなやみの最中と、事を割ってはなしますと、思案のすえ、ならば供のうちに、備前飽浦(あくら)の佐々木党の一人、加治源太左衛門安綱がおる、これは海上の案内にくわしい侍、その者の才覚におまかせあれとのことだったのでございまする」「では、源太左衛門安綱が、御使の賢俊と薬師丸を、送って来るのか」「さらに道誉の家臣、田子大弥太も干魚船の水夫(かこ)となって、淀をまぎれ出で、海上これへまいる手はずとなっています」「そちはなぜ、べつに?」「万一のさいには、誰がわが殿へこれをお知らせいたしましょうか...
吉川英治 「私本太平記」
...光厳上皇の御院宣を...
吉川英治 「私本太平記」
...持明院統の皇(きみ)の院宣(いんぜん)をにぎっている...
吉川英治 「私本太平記」
...すでに廃帝たる院の院宣などは反古(ほご)にひとしい...
吉川英治 「私本太平記」
...山門討伐の院宣(いんぜん)を名として...
吉川英治 「親鸞」
...院宣のとおりに思って...
吉川英治 「親鸞」
...その年の正月二日に院宣をうけ...
吉川英治 「随筆 新平家」
...――かれの神出鬼没ぶりばかりでなく、院宣なる物や、法皇の本心や、奈良叡山のうごきや、何喰わぬ顔しつつ常に何かを策する公卿輩まで、すべて複雑怪奇を孕(はら)んでいた...
吉川英治 「随筆 新平家」
...平家追討の院宣をうけた...
吉川英治 「随筆 新平家」
...御院宣をお伝え申すために下る途中なのです...
吉川英治 「源頼朝」
...すぐ目と鼻の先の京都では、法住寺殿の焼打ちとか、その他、限りない義仲の狼藉(ろうぜき)やら秩序の乱脈さが手にとる如く聞えてくるのに、鎌倉の方からの風のたよりには、「院宣を奉じて、いよいよ鎌倉殿にも、軍勢を催されておらるるが、義仲追討の総大将には、やはり北条殿がお立ちになるらしい」とか、また、「いや、千葉介(ちばのすけ)殿か誰か、御家人のうち優(すぐ)れた老将をさしそえて、御弟の蒲冠者範頼(かばのかんじゃのりより)どのをお立てになるそうだ」などと真(まこと)しやかなうわさが頻々(ひんぴん)として伝えられ、その噂のうちに義経の事は、義経という名さえ語られていなかった...
吉川英治 「源頼朝」
...院宣即降(いんぜんそっこう)の嘆願をなさいませ...
吉川英治 「源頼朝」
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