...帰途は鳴瀬医院に立寄って耳の診察を乞い...
太宰治 「花吹雪」
...金に光る回々(フイフイ)教寺院の月章...
谷譲次 「踊る地平線」
...大学ノ整形科ノ所見モ虎ノ門病院ト全ク同一ナル由ヲ知ラセテ来ル...
谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
...貴族院の菊地武夫男が結成した憲法学説検討会とかいう会が...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...下院全體の大缺陷なり彼は唯だ其最も著明なる代表者たるのみ...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...そわか――」「方丈様」「何だ」「あの地蔵様の歌のつづきを教えてもらいてえ」「和讃か」「西院河原地蔵和讃(さいのかわらじぞうわさん)...
中里介山 「大菩薩峠」
...院長の死が一基の墓標で永く確(たしか)められたとき...
夏目漱石 「思い出す事など」
...すべて毎年會計檢査院がこれを檢査し...
日本国 「日本國憲法」
...やはりその人のいた場所は某(それがし)の院で...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...残された内親王はだれをたよりに暮らすかと思召されることが院の第一の御苦痛であった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...御婦人がたは深いお考えもなしに君へ贈られたのだろう」院はこうお言いになるのであった...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...伊沢分家の古い法諡に、軒と云ひ室と云つて、ことさらに院字を避けたらしい形迹のあるのは、伊藤東涯の「本天子脱之後、居于其院、故崩後仍称之、臣下貴者亦或称、今斗之人、父母既歿、必称曰某院、尤不可也、蓋所謂窃礼之不中者也、有志者忍以此称其親也哉」と云つた如く俗を匡(たゞ)すに意があつたのではなからうか...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...任有亭者吾院之所有...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...いつか病院で、輝ちゃんが、「僕も入院生活でお前のそばについていてあげられないし、苦しいことがあったら話しに来いよ」といって下さったことがありますが、いまさらのように思い出されます...
山崎富栄 「雨の玉川心中」
...護持院隆光にとっては...
吉川英治 「大岡越前」
...――女院(によゐん)重ねて申させ給ひけるは...
吉川英治 「私本太平記」
...山上の宝塔院に宿直(とのい)と聞かされていたのであった...
吉川英治 「私本太平記」
...自分は冷たい尼院の奥へかくれた...
吉川英治 「源頼朝」
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