...関八州とは、江戸時代に存在した中部地方と関東地方を指す地域名称...
...関八州の歴史に関する書籍が最近注目を集めている...
...「関八州の歌合せ」という歌会が開かれたことがある...
...関東と中部の境目が関八州とされている...
...関八州を舞台にした歴史小説が人気を博している...
...頼朝の関八州をうちて一丸と為さむとするや...
芥川龍之介 「木曾義仲論(東京府立第三中学校学友会誌)」
...よく関八州を領有し...
相馬愛蔵 「私の小売商道」
...引いて関八州の騒動となり...
太宰治 「津軽」
...御岳山上へ関八州(かんはっしゅう)の武術者が集まって奉納試合を為すべき日であります...
中里介山 「大菩薩峠」
...関八州の平野の一角が見えて...
中里介山 「大菩薩峠」
...関八州の狐が悉く集まるという噂であります...
中里介山 「大菩薩峠」
...源頼朝が召集した関八州の兵(つわもの)が轡(くつわ)を並べて集まりました...
中里介山 「大菩薩峠」
...単に武蔵野とはいうが、関八州の平野は、武蔵野の延長に過ぎません...
中里介山 「大菩薩峠」
...関八州の水が張りきっているという感じがするね...
中里介山 「大菩薩峠」
...なあに――関八州から京大阪をかけて覚えのあるこのおれが...
中里介山 「大菩薩峠」
...その兵法の如きも、規律あり、節制ある当今の西洋流と少しも違わない、近頃まで八王子に、信玄当時の槍法が残っていて、毎年二度、その槍法の調練をすることになっていたが、その槍を使うのを見ると、近頃のように、お面お胴というふうな、個人的の勝負ではなくて、大勢の人が一様に槍先を揃えて、えい、えい、えい、と声をかけながら、初めは緩(ゆる)やかに、次第次第に急になり、漸く敵に近づくと、一斉に槍先を揃えて敵陣へ突貫するのだ、ちょっと見たところでは甚だ迂闊(うかつ)のようだが、おれは後で西洋の操練を習ってから、はじめてこの法のすこぶる実用に叶(かな)っていることを知った」「北条早雲という男も、なかなかの傑物であったに相違ない、赤手空拳でもって、関八州を横領し、うまく人心を収攬(しゅうらん)したのはなかなかの手腕家だ...
中里介山 「大菩薩峠」
...この関八州へ移封されたのだが...
中里介山 「大菩薩峠」
...関八州の餌鳥取(えとりどり)の鑑札を出す...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...古川柳にも「元日に関八州の毛を拾ひ」と王子狐火に材した吟詠がのこつてゐるので...
正岡容 「滝野川貧寒」
...五畿内東山道 45%東海道 45関八州 30―40奥州 28羽州 40北陸道 54山陰道 32山陽道及南海道 55西海道 50―――――――――――――○ 42.4%これから古米食込高一二%を入れ戻せば...
森鴎外 「大塩平八郎」
...関八州の盗賊が、すべてといっていいくらい、日本左衛門をかしらに頂いている中で伊兵衛ひとりは、「ふん……青二才が」といった調子で、まだ、あいさつもした事がない...
吉川英治 「江戸三国志」
...関八州の兵はいわずもがなよ...
吉川英治 「私本太平記」
...関八州(かんはっしゅう)から東北の武者までが...
吉川英治 「私本太平記」
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