...「コロボックル果シテ北海道ニ住ミシヤ」の寄稿者は其論中に「中里村貝塚ノ説ニ於テ論シタレバ」云々と書かれましたから諸君も其誰たるを察しられたでは有りませうがMSの畧字を以て出されました事故此所にもMS君を以て呼びました以後斯かる眞面目の論説には姓名を明記されん事を願ひます...
坪井正五郎 「コロボックル北海道に住みしなるべし」
...大里按司の女と婚して舜天を生ましめたと云ふ大里村である...
濱田耕作 「沖繩の旅」
...新聞記者である里村(さとむら)の心を支配したのは...
平林初之輔 「頭と足」
...里村はそれにつづいた...
平林初之輔 「頭と足」
...里村がそこへ息せききってかけつけた...
平林初之輔 「頭と足」
...里村は田中の原稿を見て...
平林初之輔 「頭と足」
...一つあいつの女房のとこへでも電報を打って俺の頭のよさを自慢してやろうかな」里村は途々(みちみち)ひとり考えて悦に入った...
平林初之輔 「頭と足」
...「綾里村快挙録」(――)〔一九四〇年六月〕...
宮本百合子 「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」
...三十一連歌師としての壽阿彌は里村昌逸の門人であつたかと思はれる...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...二種の略系は里村兩家の承統次第を示したものである...
森鴎外 「壽阿彌の手紙」
...武蔵西多摩郡三里村大字高尾字崩崖上(ままうえ)という地名もある...
柳田國男 「地名の研究」
...山梨県東山梨郡松里村)そこから余り遠くない等々力(とどろき)村の万福寺(まんぷくじ)という寺にも...
柳田國男 「日本の伝説」
...ところが、涌谷のほうでは逆に、こちらで地境を侵していると云いだし、桃生郡(ものおごおり)深谷と、遠田郡の小里村、また登米郡の赤生津(あこうづ)の三カ所について、こちらの不法を挙げて来た、と式部は云った...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...赤生津(あこうづ)と小里村はこのうしろに当りますし...
山本周五郎 「樅ノ木は残った」
...信里村(のぶさとむら)の一丘...
吉川英治 「上杉謙信」
...「連歌師(れんがし)の里村紹巴(さとむらじょうは)の宅まで...
吉川英治 「新書太閤記」
...白湯(さゆ)一杯たまわらぬか」連歌師(れんがし)の里村紹巴(さとむらじょうは)は...
吉川英治 「新書太閤記」
...光秀と親交のあった吉田兼和(よしだけんわ)や里村紹巴(さとむらじょうは)などの召喚(しょうかん)されたことが...
吉川英治 「新書太閤記」
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