...何ういふ理由(わけ)で醍醐の山と見当をつけたかと訊いた...
薄田泣菫 「茶話」
...俊乗房重源は上の醍醐に無常臨時の念仏をすすめ七カ所に不断念仏を興立し念仏の事業愈々(いよいよ)隆盛の勢を示したのは大原問答の後のことである...
中里介山 「法然行伝」
...天皇後醍醐に移った...
蜷川新 「天皇」
...床脇(とこわき)の棚は醍醐の三宝院の写し...
久生十蘭 「我が家の楽園」
...醍醐の花見の図の絵草紙的薄弱さとは比かくにならず又...
宮本百合子 「獄中への手紙」
...後醍醐はいまや居直ッているお容(かたち)である...
吉川英治 「私本太平記」
...山門の上におかれた父皇後醍醐のむねは...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐はゆめ御存知ない...
吉川英治 「私本太平記」
...あるその御代はもう後醍醐を完全に世の外のものにしかしていない...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐は引き直衣(のうし)のおすがたを椅子(いす)にかけ...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐とは反対派の現帝に仕える堀川大納言の姪(めい)であり...
吉川英治 「私本太平記」
...小宰相(こさいしょう)後醍醐はゆうべ初めて...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐は、凝視のまま、ここで彼へも他の武将なみに、よく仰っしゃることを、仰っしゃった...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐と尊氏とのあいだには...
吉川英治 「私本太平記」
...「――かならず義貞とよう談合をとげよ」とお言葉のあった後醍醐の仰せつけにも...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐のお手もとにあるのでしょうが」「そうだ...
吉川英治 「私本太平記」
...――醍醐と書くべきところを...
吉川英治 「新書太閤記」
...作家構図でいえば、南北朝という敷地に、後醍醐天皇、北条幕府、足利尊氏、楠木正成と、こう四つの柱建(はしらだ)ての基礎工事が、まずまず出来たばかりといってよい...
吉川英治 「随筆 私本太平記」
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