...○そも/\醍醐(だいご)天皇は(在位卅二年)百廿代の御皇統(くわうとう)の中にも殊に御徳達(とくたつ)たりしゆゑ...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...山科(やましな)の上醍醐(かみだいご)寺の宝蔵に「平中将将門(へいちゆうじやうまさかど)」の髑髏(しやれかうべ)がある...
薄田泣菫 「茶話」
...到頭後醍醐天皇の時分になつてそれを本統に研究する人が出て來たのであります...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...これは詰り當時後醍醐天皇が宋學...
内藤湖南 「日本文化の獨立」
...が、後醍醐のみは、長い皇太子時代において、半民間的な自由生活もして来た御経験などもあるので、とくに考え方もちがっていた...
吉川英治 「私本太平記」
...としている後醍醐中心の“大覚寺統”一派にあるのみで...
吉川英治 「私本太平記」
...まことの後醍醐の君ではないぞ...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐のきみを勾践に...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐に後醍醐の理想があったように...
吉川英治 「私本太平記」
...対後醍醐朝廷への...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐への忠誠をあかしだてようとしたのであろう...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐と尊氏との仲も...
吉川英治 「私本太平記」
...これまでの後醍醐にはないお心弱い語韻(ごいん)がどこやらにながれてはいなかったか...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐いらい変らないそれにあった...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐天皇とのお争いなどもそれでしょうな」答「これまでの歴代にも現れなかった烈しい御気性の天皇と...
吉川英治 「私本太平記」
...道はこれから宇治郡(うじごおり)醍醐村(だいごむら)の南小栗栖(みなみおぐるす)へ通じている...
吉川英治 「新書太閤記」
...醍醐(だいご)という文字をどわすれして...
吉川英治 「新書太閤記」
...「息をつかすな」とばかり追撃また追撃して――一部は木幡(こばた)から醍醐路(だいごじ)へと追いまくし京の阿弥陀ヶ峰の東に出で...
吉川英治 「源頼朝」
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