...醍醐味という世界である...
中井正一 「美学入門」
...醍醐三宝院の門前に着きました...
中里介山 「大菩薩峠」
...このような天皇後醍醐は...
蜷川新 「天皇」
...後醍醐(ごだいご)天皇の御妹であったなとどいう説さえありますが...
柳田國男 「日本の伝説」
...やはり御子(みこ)の後醍醐に如(し)く君はなかった...
吉川英治 「私本太平記」
...眼にも見てきたことであろうが」新帝後醍醐の徳を...
吉川英治 「私本太平記」
...――もう一つの大きな反後醍醐派は...
吉川英治 「私本太平記」
...笠置(かさぎ)の山(やま)ゆらい後醍醐には...
吉川英治 「私本太平記」
...が、後醍醐は、この一個の山家男を、なんとごらんになったろうか...
吉川英治 「私本太平記」
...まだ早めとは思われたが、道誉の催促を知ると、後醍醐はやおら、三人の妃、二人の侍者(じしゃ)をかえりみて、「……いざ、行くか」どこやら自嘲をふくむようなご眉色(びしょく)の下に、広縁へ出、そのままずかずか車寄せの上に姿を見せられた...
吉川英治 「私本太平記」
...持続していることは後醍醐ならずともむずかしい...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐の御子(みこ)のうちでも...
吉川英治 「私本太平記」
...花壇のような桟敷(さじき)の揺れの中で廉子がふと後醍醐へささやいていた...
吉川英治 「私本太平記」
...いまや動顛(どうてん)狼狽の極にあろう内裏の大宮人(おおみやびと)たちが――わけても後醍醐のご進退が――彼の胸にも想像されて...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐を憎みたてまつる気などは毛頭ないのである...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐朝廷直々(じきじき)の綸旨(りんじ)によってと号しており...
吉川英治 「私本太平記」
...すべては、御軍(みいくさ)の下、この正成もみかどの一兵でしかございませぬ」「では」と、後醍醐は、「河内、そちにおいては、新田へ隔意(かくい)をふくむ心は、まったくないと申すのだな」正成も、かさねて、「さらさら、存じの外(ほか)です...
吉川英治 「私本太平記」
...後醍醐の怨霊(おんりょう)しずめがその目的であろうでな」と...
吉川英治 「私本太平記」
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