...北越雪譜二編巻之一 終北越雪譜二編 巻二北越鈴木牧之 編選江戸京山人百樹 増修○雪頽(なだれ)に熊(くま)を得(うる)酉陽雑俎(いうやうざつそ)に云(いふ)...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...どちらが誘うともなく美佐子と私とはお酉さまに出かけた...
高見順 「如何なる星の下に」
...倉橋君はお酉さまの晩に吉原でもって...
高見順 「如何なる星の下に」
...七日、辛酉、相模次郎朝時主、女事に依りて御気色を蒙る、厳閤又義絶するの間、駿河国富士郡に下向す、彼の傾公は、去年京都より下向す、佐渡守親康の女なり、御台所の官女たり、而るに朝時好色に耽り、艶書を通ずと雖も、許容せざるに依り、去夜深更に及びて、潜かに彼局に到りて誘ひ出すの故なりと云々...
太宰治 「右大臣実朝」
...三日、癸卯、小雨灑ぐ、義盛粮道を絶たれ、乗馬に疲るるの処、寅剋、横山馬允時兼、波多野三郎、横山五郎以下数十人の親昵従類等を引率し、腰越浦に馳せ来るの処、既に合戦の最中なり、仍つて其党類皆蓑笠を彼所に棄つ、積りて山を成すと云々、然る後、義盛の陣に加はる、義盛時兼の合力を待ち、新羈の馬に当るべし、彼是の軍兵三千騎、尚御家人等を追奔す、義盛重ねて御所を襲はんと擬す、然れども若宮大路は、匠作、武州防戦し給ひ、町大路は、上総三郎義氏、名越は、近江守頼茂、大倉は、佐々木五郎義清、結城左衛門尉朝光等、各陣を張るの間、通らんと擬するに拠無し、仍つて由比浦並びに若宮大路に於て、合戦時を移す、凡そ昨日より此昼に至るまで、攻戦已まず、軍士等各兵略を尽すと云々、酉剋、和田四郎左衛門尉義直、伊具馬太郎盛重の為に討取らる、父義盛殊に歎息す、年来義直を鍾愛せしむるに依り、義直に禄を願ふ所なり、今に於ては、合戦に励むも益無しと云々、声を揚げて悲哭し、東西に迷惑し、遂に江戸左衛門尉能範の所従に討たると云々、同男五郎兵衛尉義重、六郎兵衛尉義信、七郎秀盛以下の張本七人、共に誅に伏す、朝夷名三郎義秀、並びに数率等海浜に出で、船に掉して安房国に赴く、其勢五百騎、船六艘と云々、又新左衛門尉常盛、山内先次郎左衛門尉、岡崎余一左衛門尉、横山馬允、古郡左衛門尉、和田新兵衛入道、以上大将軍六人、戦場を遁れて逐電すと云々、此輩悉く敗北するの間、世上無為に属す、其後、相州、行親、忠家を以て死骸等を実検せらる、仮屋を由比浦の汀に構へ、義盛以下の首を取聚む、昏黒に及ぶの間、各松明を取る、又相州、大官令仰を承り、飛脚を発せられ、御書を京都に遣はす...
太宰治 「右大臣実朝」
...つい三四日前の酉(とり)の市(いち)で買って来た熊手などが景気よく飾られて...
徳田秋声 「あらくれ」
...酉(とり)の市(いち)の晩には夜通し家を開け放ちにして通りがかりの来客に酒肴(さけさかな)を出すのを吉例としていたそうである...
永井荷風 「里の今昔」
...昨夕(ゆうべ)酉刻(むつ)半(七時)過ぎ入谷の寮で...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...私の言葉も上(うは)の空(そら)に飛出してしまひました」「それは何刻頃のことで?」「酉刻半(むつはん)少し廻つた時分と思ひますが」「――」平次は眉を顰(ひそ)めましたや...
野村胡堂 「錢形平次捕物控」
...酉刻半に来た手紙というと...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...酉刻(むつ)前後の門の閉まる前...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...「それは戌刻(いつつ)(八時)前のことか」「酉刻(むつ)(六時)少し過ぎだったでしょう...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...酉刻(むつ)(六時)まで両国の小屋にいて...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...『酉陽雑俎』(蜈蚣(むかで)退治を承平元年と見てそれより六十八年前に死んだ唐の段成式著わす)三に...
南方熊楠 「十二支考」
...是は此遊に遅るること三年、癸酉の春、凹巷が河崎敬軒、佐藤子文及霞亭と偕(とも)に芳野に遊んだ時の詩巻である...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...天保丁酉は柏軒が既に二十八歳になつてゐる...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...天武天皇紀の五年十月丁酉の条に...
柳田国男 「海上の道」
...ゆうべ酉(とり)の刻(こく)さがりに長橋のおばあさまが亡くなられた...
山本周五郎 「日本婦道記」
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