...「道修町(だうしうまち)と云(い)ふだがね...
泉鏡太郎 「大阪まで」
...道修町(どしょうまち)なら此処からそう遠くない所であるのを思い...
谷崎潤一郎 「細雪」
...彼は我が児以上に春琴の身を案じたまたま微恙(びよう)で欠席する等のことがあれば直ちに使(つかい)を道修町に走らせあるいは自ら杖(つえ)を曳(ひ)いて見舞(みま)った...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...何という心得違いをいうぞといった○春松検校の家は靱(うつぼ)にあって道修町の鵙屋の店からは十丁ほどの距離(きょり)であったが春琴は毎日丁稚(でっち)に手を曳(ひ)かれて稽古に通ったその丁稚というのが当時佐助と云った少年で後の温井検校であり...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...昔は寒稽古と云って寒中夜のしらしら明けに風に吹き曝(さら)されながら稽古をするという習慣があったけれども道修町は薬屋の多い区域(くいき)であって堅儀(かたぎ)な店舗(てんぽ)が軒(のき)を列(つら)ね遊芸の師匠や芸人などの住宅のある所でもなしなまめかしい種類の家は一軒(いっけん)もないのであるそれにしんしんと更(ふ)けた真夜中...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...それに道修町の時分にはまだ両親や兄弟達へ気がねがあったけれども一戸の主(あるじ)となってからは潔癖と我(わ)が儘(まま)が募(つの)る一方で佐助の用事はますます煩多(はんた)を加えたのであるこれは鴫沢(しぎさわ)てる女の話でさすがに伝には記してないが...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
......
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...ここに一言すべきことはその頃道修町の春琴の本家鵙屋の店は次第に家運が傾(かたむ)きかけ...
谷崎潤一郎 「春琴抄」
...綿貫の知ってる人に道修町(どしょうまち)の薬屋の番頭(ばんと)さんあるのん幸い...
谷崎潤一郎 「卍(まんじ)」
...「道修町」の台本の朱入れなどで...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」の大阪弁について二分ほど喋り...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」稽古つゞき...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」、何しろセリフに自信あり、気持よくやる...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...「道修町」ヒットのおかげもあるかも知れない...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...今日の昼の部「道修町」OTV中継(東京のNTVも)で...
古川緑波 「古川ロッパ昭和日記」
...もし道修町(どしょうまち)の薬屋の若旦那新護(しんご)花嫁を迎へし喜びに祝の句を集めて小冊子となしこれを知人に配るとすれば風流の若旦那たるを失はず...
正岡子規 「墨汁一滴」
...道修町(どしょうまち)というところの建具屋へひとまず草鞋(わらじ)をぬぎ...
山本周五郎 「柳橋物語」
便利!手書き漢字入力検索