...中小屋加番(なかごやかばん)の井伊が遊軍としてこれに加はつてゐる...
森鴎外 「大塩平八郎」
...遊軍として臨んだ...
吉川英治 「三国志」
...北方の小道や山野など隈(くま)なく遊軍として見廻っているように」と...
吉川英治 「三国志」
...しかし、なお念のために、臣さきに密命をくだして、関興、張苞(ちょうほう)の二人に各兵二万をさずけ、遊軍として、諸方の攻め口に万一のある場合、奔馳(ほんち)して救うべしといいつけてありますから、どうか御心を安められますように」と、初めてこのことを、帝劉禅(りゅうぜん)の奏聞(そうもん)に入れて、万端のそなえを打ち明け、最後に、「ただ、ここに問題は、何といっても、呉のうごきでありましょう」と、彼はここにいたると、眸(ひとみ)をつよめ、語気をあらためて、要するに全対策の主眼は、一に呉にあるものであるという胸中の確信を、その容子(ようす)にあらわして云った...
吉川英治 「三国志」
...変通自由な遊軍として伏せていたのは...
吉川英治 「私本太平記」
...職人二名ずつ――これは遊軍として...
吉川英治 「新書太閤記」
...そのほか物々しい軍勢をおき、西部方面は、これを信雄の軍にまかせ、遊軍として、石川伯耆守数正(いしかわほうきのかみかずまさ)を、全陣のわきに備えた...
吉川英治 「新書太閤記」
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