...要するに逢坂が實に無邪氣な人間だといふに歸する...
石川啄木 「我等の一團と彼」
...二人は態(わざ)と逢坂の指圖の反對にばかり石を打つた...
石川啄木 「我等の一團と彼」
...かくて逢坂(おおさか)に逃げ退いて...
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 「古事記」
...比叡(ひえい)おろしの吹きすさぶ中を逢坂山(おうさかやま)へかゝりながら涙を流した...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...牛込神楽坂(うしごめかぐらざか)浄瑠璃坂(じょうるりざか)左内坂(さないざか)また逢坂(おうさか)なぞのほとりに佇(たたず)んで御濠(おほり)の土手のつづく限り老松の婆娑(ばさ)たる影静なる水に映ずるさまを眺めなば...
永井荷風 「日和下駄」
...逢坂山(おうさかやま)の下の原で...
中里介山 「大菩薩峠」
...小関はすなわち逢坂(おうさか)の関の裏道であって...
中里介山 「大菩薩峠」
...透き通るような姿をして現われて来た逢坂の関の清水の蝉丸神社(せみまるじんじゃ)の鳥居から...
中里介山 「大菩薩峠」
...逢坂、長良(ながら)を後ろにして、宇治、東山を前にした山科谷...
中里介山 「大菩薩峠」
...そしてこの逢坂山(昔は相坂(あうさか)とも合坂(あうさか)とも書いた)は元来山城と近江との界にあって東海道筋に当り...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...逢坂(あふさか)は関の清水(しみづ)も恋人のあつき涙もながるるところ (晶子)以前の伊予介(いよのすけ)は院がお崩(かく)れになった翌年常陸介(ひたちのすけ)になって任地へ下ったので...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...年月を中に隔てて逢坂(あふさか)のさもせきがたく落つる涙か院がこうお言いになっても...
紫式部 與謝野晶子訳 「源氏物語」
...「逢坂の関の清水に影見えて今や引くらむ望月の駒」のパロヂイである...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...父の残した逢坂山のトンネルだけは...
横光利一 「旅愁」
...逢坂(おうさか)...
吉川英治 「新書太閤記」
...逢坂口までついて来て...
吉川英治 「平の将門」
...まッ黒なちぎれ雲――逢坂山(おうさかやま)の肩だけに...
吉川英治 「鳴門秘帖」
...また逢坂(おうさか)の関を越えても...
吉川英治 「宮本武蔵」
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