...泣きて逝きけむ上の祕(ひ)めし思を悼ままし...
薄田泣菫 「泣菫詩抄」
...相馬氏は面喰つて知人の今では逝きし東儀鐵笛氏(季治)を訪ねて色々打合せ...
相馬御風 「校歌「都の西北」と私」
...非風君は北海道に去り、古白君は逝き、子規、飄亭両君は従軍したその頃の東京は淋(さび)しかった...
高浜虚子 「子規居士と余」
...曩(さき)に泊雲逝き今又村家亡(な)し...
高浜虚子 「六百句」
...逝きたる英雄に憐憫加へ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
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中原中也 「山羊の歌」
...親も逝き子も逝きて...
夏目漱石 「薤露行」
...はもはや逝きて歸らぬものとなつた以上...
波多野精一 「時と永遠」
...どうかお逝きになってくだいませ...
藤野古白 藤井英男訳 「人柱築島由来」
...はた我に先だつて彼の逝きたるは彼も我も世の人もつゆ思ひまうけざりしをや...
正岡子規 「墨汁一滴」
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三好達治 「艸千里」
...昌谷逝き、先考も亦逝き、今や存するものは唯松田君あるのみに候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...先に逝きます」「駄目よ駄目よそんな」しっかり抱き合って...
山崎富栄 「雨の玉川心中」
...私いつでも御一緒に逝きます...
山崎富栄 「雨の玉川心中」
...文化九年には山本北山六十一にて逝き...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...恋妻逝きて三年、千余日の日数が孫次郎の場合にはただ、愛慕をつのらせる日の重りでしかなかったではないか...
山本周五郎 「おもかげ抄」
...六月、信長逝き、中旬、山崎に戦い、七月、清洲に会し、下旬、長浜を撤去(てっきょ)し、家族を姫路に移し、八月、宝寺城の工を起し――この間、京都政治所と山崎とのあいだを隔日に往来しつつ、朝(あした)に禁闕(きんけつ)に伏し、昼に市井を巡察し、夕べに庶政(しょせい)を見、答使(とうし)を発し、賓客を迎え、夜半の燈下に遠国の文書を閲し、払暁、部下の訴えに裁決を与えて、飯を噛み噛み一鞭またどこかへ出かけてゆくというような毎日だった...
吉川英治 「新書太閤記」
...平家二十年の栄花もつかのま、重盛は逝き、相国清盛もようやく老い、福原開港の業成って、日宋交流の途が開かれたよろこびも、一面、不遇の源氏党や、飢餓疫病の年々に苦しむ衆民のよろこびとはならず、治承四年、以仁王を盟主とする源三位頼政らの宇治川合戦を口火として、平家を討たんの声は、澎湃(ほうはい)として、諸国三道の合言葉となった...
吉川英治 「随筆 新平家」
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