...逝きても猶(なほ)逝かぬその偉(おほ)いなる心はとこしへに偉霊を仰ぐ心に絶えざらむ...
石川啄木 「詩」
...新島君逝きてよりここに二十年...
大隈重信 「新島先生を憶う」
...三軍電のごとく逝きき...
稗田の阿礼、太の安万侶 「古事記」
...ふた親ともに逝きまして...
薄田泣菫 「泣菫詩抄」
...先生は逝きたまひけりその事のあまり大きく語るに惑ふ生き死にのさかひはすでに打越えてゐたまひにけむしかは思へどもぐ/\とみくち大きくうごかしてハムレット...
相馬御風 「坪内先生を憶ふ」
...非風君は北海道に去り、古白君は逝き、子規、飄亭両君は従軍したその頃の東京は淋(さび)しかった...
高浜虚子 「子規居士と余」
...やがて夏も逝き、秋も定まった一日、私はふたたび先生の庭に客となった...
立原道造 「夏秋表」
...此世を辭して金髮のメレアグロスも亦逝きぬ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...逝きたる英雄に憐憫加へ...
ホーマー Homer 土井晩翠訳 「イーリアス」
...昭和七年六月二十三日に姉の照子は二十七歳で逝き...
土井八枝 「隨筆 藪柑子」
...親も逝き子も逝きて...
夏目漱石 「薤露行」
...后逝きて王なおその位におらんと欲せば...
南方熊楠 「十二支考」
...昌谷逝き、先考も亦逝き、今や存するものは唯松田君あるのみに候...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...文化九年には山本北山六十一にて逝き...
山路愛山 「頼襄を論ず」
...恋妻逝きて三年、千余日の日数が孫次郎の場合にはただ、愛慕をつのらせる日の重りでしかなかったではないか...
山本周五郎 「おもかげ抄」
...小さき者と共に逝きました...
横瀬夜雨 「女子文壇の人々」
...平家二十年の栄花もつかのま、重盛は逝き、相国清盛もようやく老い、福原開港の業成って、日宋交流の途が開かれたよろこびも、一面、不遇の源氏党や、飢餓疫病の年々に苦しむ衆民のよろこびとはならず、治承四年、以仁王を盟主とする源三位頼政らの宇治川合戦を口火として、平家を討たんの声は、澎湃(ほうはい)として、諸国三道の合言葉となった...
吉川英治 「随筆 新平家」
...……考えてみると、当初の発頭人たる大掾国香は死に、源護も逝き、その子の扶、隆、繁も相次いで戦歿し、今また良正も病死した...
吉川英治 「平の将門」
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