...なにしろ、鴨の長明さまと言へば、京に於いても屈指の高名の歌人で、かしこくも仙洞御所の御寵愛ただならぬものがあつたとか、御身分は中宮叙爵の従五位下といふむしろ低位のお方なのに、四十七歳の時には摂政左大臣良経さま、内大臣通雅さま、従三位定家卿などと共に和歌所の寄人に選ばれるといふ破格の栄光にも浴し、その後、思ふところあつて出家し、大原に隠棲なされて、さらに庵を日野外山に移し、その鎌倉下向の建暦元年には既におとしも六十歳ちかく、全くの世を捨人の御境涯であつたとは申しながら、隠す名はあらはれるの譬で、そのお歌は新古今和歌集にもいくつか載つてゐる事でございますし、やはり当代の風流人としてそのお名は鎌倉の里にも広く聞えて居りました...
太宰治 「右大臣実朝」
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