...「芸藩通志」「芸備今昔話」「陰徳太平記」にそれぞれ書いてあるが...
薄田太郎 「広島という名の由来」
...鄭樵の通志がそれである...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通志の出來榮は荷が勝つたと見えて十分でなく...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通志で最も大切なのは...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...彼は通志の中に校讐略を書いたが...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通志を書いた人で...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...通志には二十略といふものがありますが...
内藤湖南 「支那の書目に就いて」
...新らしい考への出來たのは即ち鄭樵が通志を書いた時...
内藤湖南 「支那目録學」
...鄭樵の通志の藝文略・校讐略――目録學の理論化鄭樵の通志の中に藝文略と校讐略とがある...
内藤湖南 「支那目録學」
...又通志の藝文略を載せてゐる...
内藤湖南 「支那目録學」
...通志と文獻通考とに就ては...
内藤湖南 「章學誠の史學」
...通志の方がその出來榮が惡くても...
内藤湖南 「章學誠の史學」
...然るに此の陸行一月の字は魏略及び三國志より出でたる梁書、北史を始め、太平御覽、册府元龜、通志、文獻通考等、一も一日に作れる者なければ輕々しく古書を改めんことは從ひ難き所なり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...満州での書物『盛京通志(せいけいつうし)』によったもので...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...鄭樵(ていしょう)の『通志略(つうしりゃく)』にはその書中の「昆蟲草木略」において「木蘭ハ林蘭ト曰ヒ杜蘭ト曰フ...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...『芸藩通志』巻五十九にも「炉所(たたらしょ)は鉱山遠からずして炭木の多き地を見立て打ち納むるなり...
柳田國男 「地名の研究」
...(芸藩通志...
柳田國男 「日本の伝説」
...虫蝕本(むしくいぼん)の『八(びん)通志(つうし)』...
吉川英治 「鳴門秘帖」
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