...通典の著者即ち唐の宰相の杜佑といふ人は世態の進歩を認めて居る...
内藤湖南 「近代支那の文化生活」
...その中で傑作と云はれるのは杜佑の通典である...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...勿論これらも備忘録の目的で出來たものであるが、その中で、歴史の考へのある人が作ると、非常に立派なものが出來、通典の如きは、一面は類書であるけれども、一面には事柄を類別して書く間に、その沿革を認め、事柄の原因結果を知り、それが如何に進むかといふことをも呑み込んで書いてゐる...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通典はそれと異り...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...最上のものは通典の如くあらゆる事柄の沿革を認め...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通典と共に後の史學に役立ち...
内藤湖南 「支那史學史概要」
...通典は一體禮の變遷を書いたものであるが...
内藤湖南 「章學誠の史學」
...通典の勝れた著述であることは...
内藤湖南 「章學誠の史學」
...三國志に就て言はんに、余は未だ宋板本を見ざるも、元槧明修本、明南監本、乾隆殿板本、汲古閣本等を對照し、更に北史、通典、太平御覽、册府元龜等、此記事を引用せる諸書を參考して其の異同の少からざるに驚きたり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...通典には倭面土地王師升等に作れるにつきて...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...通典、册府元龜等は通行本を用ひたり...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...通典は全く後漢書に據り...
内藤湖南 「卑彌呼考」
...杜氏通典(としつうてん)だに...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
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