...一旦の御歎きから御生涯を辺土に御送りなさいますのは...
芥川龍之介 「邪宗門」
...辺土(へんど)に対する都会人の恐怖や嫌悪(けんを)を除き去れば...
芥川龍之介 「澄江堂雑記」
...この辺土に骨を埋めても...
橘外男 「ウニデス潮流の彼方」
...この辺土に墓となつた征西将軍宮(せい/\しやうぐんのみや)の事蹟(じせき)を考へて黯然(あんぜん)とした...
田山花袋 「父の墓」
...「辺土未ダ清(オサマ)ラズ...
蜷川新 「天皇」
...つまらなく腹を切るというのは」「辺土々々といわれるが...
久生十蘭 「奥の海」
...一人淋しく辺土を旅する心がこんなによく現はれてゐる歌は少い...
平野萬里 「晶子鑑賞」
...次の世には粟散辺土(ぞくさんへんど)の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った...
正岡子規 「犬」
...この辺土人のいえるには...
南方熊楠 「十二支考」
...寂しい極東の辺土の美しさだ...
宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
...だましやすい辺土の住民としてだけ彼等を思い出した...
宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
...辺土地方には、まだ沢山文化向上のための不便がある...
宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
...元来が辺土の夷(えびす)そだちで最前のように...
吉川英治 「三国志」
...遠い辺土の国境にあって...
吉川英治 「三国志」
...それに対する三名のばてれんの行動が、いかに殉教的(じゅんきょうてき)で、庶民を感動させなければ措(お)かないものだったかを、まず話して、「ここわずか十年ともいわぬうちに、大村、長崎はもとより九州、四国の辺土、また大坂、京都、堺などにかけても、先祖からの仏壇を捨てて、耶蘇教(やそきょう)に帰依(きえ)する者がどれほどあるか底知れませぬ...
吉川英治 「新書太閤記」
...いかに富強でも中国は辺土に過ぎず...
吉川英治 「新書太閤記」
...――なぜならば、善信は今日の出立を、(御仏(みほとけ)の命のもとに出で向く晴れの聖使――)と、願うてもない幸いと考えているのであるし、裏方の玉日も、(良人は、辺土の北国へ、念仏をひろめ賜うために立って今朝は教化(きょうげ)の旅の門出(かどで)――)と信じているので、そこに悲惨らしい影や、流人的(るにんてき)な傷心(いた)みとか悶えなどは、見られないからであった...
吉川英治 「親鸞」
...久しい間、藤原氏が政(まつり)の権を執っていたが、文化的には功績を残しても、その文化はやがて頽廃的(たいはいてき)な懶惰(らんだ)と爛熟(らんじゅく)の末期(まつご)を生んできたばかりか、藤原一門自体が、ただ自己を栄華し、私腹をこやし、この世は、わが為にあるものみたいな、思い上がりから、諸国の辺土に、大乱続出といったような、収拾できない世相をこしらえてしまった...
吉川英治 「源頼朝」
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