...それは牛込(うしごめ)神楽坂(かぐらざか)の手前に軽子坂(かるこざか)という坂があるが...
高村光雲 「幕末維新懐古談」
...何でもお母さんと私と神楽坂の傍の軽子坂の処に隠居していた時分です...
近松秋江 「雪の日」
...軽子橋を右手に見て...
野村胡堂 「銭形平次捕物控」
...軽子、曳方が三百人もかかって、箱根の石高(いしだか)道をひきおろし、神田誓願寺(せいがんじ)前の松浦侯の上邸(かみやしき)におさまったところを拝見に出かけたが、臼砲の口径は一尺二寸、砲身の長さは十五尺もあるという、思いもかけぬ大物(おおもの)だったので、みなみな、「これは」といったきり、しばらくは、あいた口がふさがらなかった...
久生十蘭 「ひどい煙」
...それから三百人にあまる軽子...
久生十蘭 「ひどい煙」
...牛込の軽子坂などの例が示している...
柳田國男 「地名の研究」
...今も軽子坂(かるこざか)という地名がのこっている...
柳田国男 「母の手毬歌」
...軽子(かるこ)らしいその男はいきごんだ調子で云った...
山本周五郎 「柳橋物語」
...俺ッちには、救いの神だのに」「世直しの仁左衛門っ――」軍鶏籠(とうまるかご)が、永代橋へかかるころから、差立ての列は、そこらに、群れをなしていた立ン坊だの、屑屋だの、軽子だの、乞食だの、まるで生ける餓鬼草紙(がきぞうし)みたいな、臭い人種に囲まれて、「ならぬッ」「近づくと、承知せぬぞ」と、役人らは、呶鳴りつづけに、歩かなければならなかった...
吉川英治 「雲霧閻魔帳」
...軽子頭(かるこがしら)...
吉川英治 「私本太平記」
...まさか水揚人足や砂利場の軽子稼(かるこかせ)ぎで...
吉川英治 「醤油仏」
...左次郎を蹴って行った軽子のうしろへ呶鳴りつけた...
吉川英治 「醤油仏」
...何時もの砂利場へ軽子(かるこ)に来た...
吉川英治 「醤油仏」
...だが――また始まる! とそこへワラワラ寄ってきた砂利場の軽子は...
吉川英治 「醤油仏」
...人夫や軽子(かるこ)の労銀は三割方も暴騰(あが)ったというが...
吉川英治 「新編忠臣蔵」
...河岸(かし)へ行って軽子(かるこ)をしようと...
吉川英治 「梅里先生行状記」
...水夫(かこ)や軽子(かるこ)がたくさんに出入りするから...
吉川英治 「宮本武蔵」
...河岸で荷揚の軽子(かるこ)をさしずしていた店の者たちが...
吉川英治 「宮本武蔵」
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