...葉子は貞世の背をさすりながら...
有島武郎 「或る女」
...……わたしはなんというばかだろう早く丈夫になって思いきり貞世を介抱してやりたいと思ったのに……もう死んでしまったのですものねえ...
有島武郎 「或る女」
...貞造(ていぞう)じいさんに...
海野十三 「金属人間」
...これより後は、一私人として、さらに印刷局に願ひいでずてはかなはず、その出願には、規則の手續を要せらるゝ事ありて、豫算にたがへる事もおこりしかば、編輯局にうれへまうす事どもありしかど、今はせむかたなしとて郤けられぬ、稿本下賜の恩命もあれば、しひて違約の愁訴もしかねて、それより、家兄修二、佐久間貞一君、益田孝君などの周旋を得て、とかくの手つゞきして、からうじて再着手とはなれり、此の間も、中止せられぬること、六十餘日に及びぬ...
大槻文彦 「ことばのうみのおくがき」
...その子正貞、正貞の子正利、正利の子正盛、正盛の子が正信也...
大町桂月 「宗吾靈堂」
...「奥さん、あなたそれお上りになりますか」と、貞之助は、シュトルツ夫人が膝の上にちらし鮨の皿を載せて、不器用に箸(はし)を使い始めたのを見つけると云った...
谷崎潤一郎 「細雪」
...貞之助は、そこらに散らばっているキラキラ光る爪の屑(くず)を、妙子がスカートの膝(ひざ)をつきながら一つ一つ掌(てのひら)の中に拾い集めている有様をちらと見ただけで、又襖を締めたが、その一瞬間の、姉と妹の美しい情景が長く印象に残っていた...
谷崎潤一郎 「細雪」
...その習慣は幸子が貞之助と結婚するつい前の晩まで続いたのであった...
谷崎潤一郎 「細雪」
...貞之助は、それだけ伺えば大凡(おおよ)そ御牧氏の人となりは分ったようなものの、遠慮のないところを云うと、当方として一番心配に思うのは、結婚してから後の生活問題である、こう云っては失礼であるが、お話に依ると、氏は今日まで親譲りの財産があったから気儘(きまま)に暮して来られたので、氏自身では、種々のことに手を染められたに拘(かかわ)らず、これと云って成し遂げられたものはないのではあるまいか、とすると、たとい国嶋氏の後援で建築家になられたとしても、果してそれが物になるかどうか不安なきを得ない、仮りにその点は大丈夫だとしても、今の日本はそう云う種類の建築屋さんなんぞの立って行けない時代にあって、この状勢は今後三年や四年では解消しないであろうと思うが、その間はどうして凌(しの)いで行かれるか、国嶋氏の斡旋(あっせん)で、父子爵に応分の補助を仰ぐと云うことであったが、この先この状勢が五年も六年も、或は十年もつづくようなことがあったら、そういつ迄も補助して貰えるものではないし、又、そんなことでは結局一生子爵家の厄介者(やっかいもの)で終ることになるし、それではどうも心細いので、その辺を何とかもう少し、安心出来るようにして貰えないものであろうか、いろいろ勝手なことを云って相済まないが、正直のところ自分達もこの縁談には大いに気乗りしているので、大体貰って戴くことに腹は極めているのであるが、兎(と)も角(かく)も来月上京して国嶋氏にお目に懸り、今云った点を確かめて見たいと思っているので、………と、云うような挨拶をしたのであったが、なるほど、よく分りました、そう云う御不安がおありになるのは御尤もです、と、光代は云って、私の一存ではお答え致しかねることもありますから、帰りまして社長にその旨(むね)を伝え、将来の保証について必ず御納得が行くような方法を講じましょう、それでは来月お待ちしております、と、そう云うと、折角ですが今夜の夜行で立ちますからと、晩の御飯でもと云うのを断って辞去した...
谷崎潤一郎 「細雪」
...食べない」といったきり不貞くされたように沈み込んでじっと坐っている...
近松秋江 「うつり香」
...同じくいまは身辺にない洛陽感傷の市井詩人宮島貞丈が「若竹亭」と題する一詩を左に掲げて...
正岡容 「山の手歳事記」
...ある女は日頃命よりも貞操を大切にしていたのに...
ミシェル・エーケム・ド・モンテーニュ Michel Eyquem de Montaigne 関根秀雄訳 「モンテーニュ随想録」
...わが夫(つま)貞氏どの以外には...
吉川英治 「私本太平記」
...……いや出雲の守護の塩冶(えんや)高貞もよばれて...
吉川英治 「私本太平記」
...その後、武蔵地方を注意していると、貞盛が、協力を求めて、出兵を説いて廻ったにもかかわらず、ここの国庁を中心に――内紛、また内紛をつづけたあげく、近頃では、ついに、毎日の小合戦に、双方、まったく疲れてしまったらしい...
吉川英治 「平の将門」
...持っていた本で貞の頭や横顔を夢中で撲った...
吉川英治 「忘れ残りの記」
...たとい耄及愚翁本が安貞二年のものに相違ないとしても...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
...奥書きのゆえをもって安貞二年にも『枕草紙』は春曙抄本のごとき構造を持っていたと断定することの危険は...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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