...「真田十万石」は真田氏が領地としていた豊後国の石高のことです...
...売る所は豊後国(ぶんごのくに)大分(おほいた)の本屋忠文堂(ちうぶんだう)(七月二十日)奇聞大阪の或る工場(こうじやう)へ出入(でいり)する辨当屋の小娘あり...
芥川龍之介 「雑筆」
...所領豊後国で小壺狩を催しました...
薄田泣菫 「小壺狩」
...豊後国速見郷鶴見山嶺に在り...
高木敏雄 「比較神話学」
...そうしてその娘の一人は豊後国安岐の城主であった熊谷直盛に嫁ぎ...
谷崎潤一郎 「聞書抄」
...そして、その上には、紺紙金泥に、金襴の表装をした経巻一巻と、遺書を包んだ袱紗(ふくさ)とが、置かれ、その机と、枕との間には、豊後国行平作の、大脇差が、堆朱(ついしゅ)の刀掛けに、掛かっていた...
直木三十五 「南国太平記」
...『書紀』七や『豊後国風土記』には景行帝熊襲(くまそ)親征の時...
南方熊楠 「十二支考」
...同門に豊後国大野郡岡の城主中川修理大夫久貞の医師飯田休庵信方(のぶかた)がゐた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...休庵は豊後国大野郡岡の城主中川修理大夫久貴(ひさたか)の侍医であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...杏庵の後を承けて豊後国岡の城主中川修理大夫久教(ひさのり)に仕へたのは...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...清川安策孫(そん)は豊後国岡の城主中川氏の医官清川玄道(がい)の次男であつた...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...舟は豊後国佐賀関(ぶんごのくにさがのせき)に着いた...
森鴎外 「護持院原の敵討」
...豊後国(ぶんごのくに)臼杵(うすき)の稲葉家で...
森鴎外 「渋江抽斎」
...豊後国鶴崎で刺客の一人を討ち取つた...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...豊後国東の海上にある姫島にも大帯八幡(おおたらしはちまん)の社がある...
柳田国男 「年中行事覚書」
...仲間の抜荷買連中と共に逸早(いちはや)く旅支度をして豊後国...
夢野久作 「名娼満月」
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