...トラカルの護謨(ゴム)の管から際限もなく流れ落つる濃黄色の液體を目撃するまでは...
石川啄木 「郁雨に與ふ」
...最近(さいきん)は……尤(もつと)も震災前(しんさいぜん)だが……土橋(どばし)のガード下(した)を護謨輪(ごむわ)で颯(さつ)と言(い)ふうちに...
泉鏡太郎 「麻を刈る」
...さりながら、毛織物、護謨(ごむ)、藥種店(やくしゆてん)、物思(ものおもひ)、場末の町の屋根瓦(やねがはら)の海に臨んで、その岸とも謂(いつ)つべき張出(はりだし)の欄干近(らんかんぢか)い窓掛(まどかけ)、洋燈(ランプ)、版繪(はんゑ)、茶(ちや)、茶菓子(ちやぐわし)、樂(たのしみ)は、これきりか知(し)ら...
上田敏 上田敏訳 「牧羊神」
...」娘は護謨(ごむ)人形のやうに急に母親に飛びついた...
薄田泣菫 「茶話」
...暦数千八百四十四年二月十五日瓦剌汾法瓦(ガラーヘンハーガ)(和蘭(オランダ)国都)の宮中において書すデ・ミニストル・ハン・コロニイン(外国の事を司(つかさ)どる大臣の官名)微爾列謨瑪※(ウイルレムマード)以上は天文方渋川六蔵の訳する所にして...
徳富蘇峰 「吉田松陰」
...共に皇謨の大精神と相距る甚だ遠かりき...
鳥谷部春汀 「明治人物月旦(抄)」
...曰はく禹稷皐陶三后佐唐虞、禹讓稷契及皐陶、堯舜之道、惟禹皐陶見而知之、此萬世所共聖、殷本紀述湯誥曰、古禹皐陶久勞於外、四涜已備、萬民乃有居、后稷降播農殖百穀、三公咸有功於民、故后有立、書序曰、皐陶矢厥謨、禹成厥功、帝舜申之、作大禹皐陶謨益稷、是三后自古論定、雖湯之興、不敢以契入三后而退皐陶也、乃甫刑忽易以伯夷降典折民爲刑、推爲三后、而皐陶不與、漢楊震孫賜遂以皐陶不與三后、恥拜廷尉之官、不知此甫刑之大繆也、堯時姜氏爲四伯、掌四嶽之祀、述諸侯之職、於周則有申甫齊許、(見高詩毛傳)國語史伯言姜爲伯夷之後、許爲大岳之胤、是甫侯之置皐陶進伯夷、代列三后者、私尊乃祖、假王命以寵先靈、穆王耄荒、誠哉其耄荒也、夫成天地之大功者、其子孫未嘗不淳耀惇大、唐虞夏商周而外、楚爲重黎祝融之後、贏爲伯益之後、而伯益實庭堅之子、禹薦益於天、孰謂大理官不列三后乎、史記秦之先始於大業、大業生大費、與禹平水土、大費佐舜調馴鳥獸、是爲柏翳、舜賜姓贏氏、索隱謂大業即皐陶、大費者伯益、即皐陶之子、又列女傳陶子生十五歳而佐禹、曹大家注、陶子即皐陶子伯益也、至皐陶之後、兼封英六、楚人滅六、臧文仲謂皐陶庭堅不祀忽諸者、猶周公之後自魯外、尚有凡蒋茅胙祭也、漢書古今人表只柏益一人、並無伯益柏翳分二人之説、甫侯自侈其家世、而天之所興、人力不與、伯夷姜氏之後、滅於陳田、卒不能與皐陶伯益爭衡、夫子以秦誓繼甫刑、知皐陶伯益之後、將繼稷契禹而代興也、惟王變而覇、道徳變而功利、此運會所趨、即祖宗亦不能聽其不自變、(書古微十一)魏源は禹稷皐陶を三后とすることが定論であるのに甫刑が皐陶を退けて伯夷を入れたのは不都合であると言ひ、それは穆王の時に甫侯が勝手なことをしたのだと論じてゐる...
内藤湖南 「尚書稽疑」
...護謨輪(ゴムわ)の車を玄関へ横付にして...
夏目漱石 「それから」
...果(はて)しのない広野(ひろの)を埋(う)め尽す勢(いきおい)で何百万本という護謨の樹が茂っている真中に...
夏目漱石 「彼岸過迄」
...その機密に参画した川路聖謨(かわじとしあきら)の旅日記を読むに及んで...
野村胡堂 「胡堂百話」
...川路(かわじ)(聖謨(としあきら))の日記を借りてこよう...
服部之総 「空罎」
...私と護謨靴屋さんきりだ...
林芙美子 「放浪記(初出)」
...その他の部分も少し休養させなくては護謨(ゴム)が伸びてしまう」とコン吉がいうと...
久生十蘭 「ノンシャラン道中記」
...浅野護謨会社社長が...
平林初之輔 「犠牲者」
...護謨(ごむ)細工のように柔軟(やわらか)な弾力に富む彼女らの yoni とは...
牧逸馬 「ヤトラカン・サミ博士の椅子」
...それより護謨(ゴム)園を見に行く...
横光利一 「欧洲紀行」
...護謨(ゴム)の苗木は十八尺四方の中に一本を植ゑる...
與謝野寛、與謝野晶子 「巴里より」
...その護謨紐が切れておる』『だって...
モウリス・ルブラン 新青年編輯局訳 「水晶の栓」
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