...諸将には名だたる武将がいた...
...討ち死にする諸将を見て、将軍は悲しみに暮れた...
...諸将の意見を取り入れ、戦略を練る...
...諸将が力を合わせ、敵を打ち破った...
...諸将の勇猛な戦いぶりを聞いて、多くの人々が感動した...
...軍部諸将以て如何とするか」云々...
戸坂潤 「現代日本の思想対立」
...「駒を止めい」謙信は、何思ったか、前後の諸将へ、こういって、急に自身も、馬首を横に向けた...
吉川英治 「上杉謙信」
...諸将よ、わしの心を怪しんでくれるな」「…………」趙雲は、地に額(ひたい)をすりつけた...
吉川英治 「三国志」
...例の七手組の諸将を樊城(はんじょう)の北十里の地点に移し...
吉川英治 「三国志」
...夷陵の如きはひとりでに囲みが解けてしまうのである」聞くと諸将はみな...
吉川英治 「三国志」
...並べておいてすぐ首を刎ねましょうか」諸将が称(とな)えいうと...
吉川英治 「三国志」
...祁山(きざん)へ打って出てはいかがでしょう」蜀の諸将は孔明にいった...
吉川英治 「三国志」
...「動物の牛馬を使役すれば、牛馬の糧食を要し、舎屋(しゃおく)や人手間(ひとでま)がかかる上、斃死(へいし)、悪病に仆れるおそれもあるが、この木牛流馬なれば、大量の物を積んで、しかも食うことなく疲れることも知らない」すでに無数に製造されていた実物を示して、孔明はその「分墨尺寸(ぶんぼくしゃくすん)」――つまり設計図についても、自身いろいろ説明を加えて、諸将へ話した...
吉川英治 「三国志」
...まして戦は今日(こんにち)だけでもなし、後日が大事だ」こう彼は諭(さと)したが、諸将の沈黙には、なお釈然(しゃくぜん)としきれぬものが拭(ぬぐ)いきれない...
吉川英治 「私本太平記」
...居あわせた諸将も茫然のていだったが...
吉川英治 「私本太平記」
...法会(ほうえ)につらなった筑紫(つくし)の諸将は...
吉川英治 「私本太平記」
...ここを退出したばかりの諸将は...
吉川英治 「新書太閤記」
...佐々(さっさ)などの諸将は各郡を配分し...
吉川英治 「新書太閤記」
...光秀はもどると直ちに諸将を会して帷幕(いばく)のうちに作戦方針を議した...
吉川英治 「新書太閤記」
...「あすの合戦はあの山を先に占(し)めて、高地から敵を俯瞰(ふかん)して打つの有利に立った方がまず勝ちであろう」また必然、諸将の胸には、「――先駆(さきが)けて遮(しゃ)二無二、天王山にお味方の旗を立てた者こそ平野の一番首よりも、戦功第一の誉(ほま)れたらん」と、ひそかに期するものがあったので、十三日の前夜、それを秀吉に献言し、或いは、みずからそこに赴かんと願い出た諸将が、幾人もあったらしい...
吉川英治 「新書太閤記」
...お湯浴(ゆあ)みで……」諸将は...
吉川英治 「新書太閤記」
...北条、千葉、土肥、その他の諸将も、そんな地名を聞くのは今初めてだったから、ふと不審な顔をした...
吉川英治 「源頼朝」
...それぞれ諸将の手に分けて預けられたが...
吉川英治 「源頼朝」
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