...天孫降臨に先ち、天降り、大蛇を誅戮し、国土を修理し、航海の法を教え、医療の途をはじめし、素盞嗚尊とその子孫との功労の大なるは、云うまでも無く、凶賊東西に起って、国民の人文に大なる障礎を与えんとせし時に、年少の身を以て、東西を平定せし、日本武尊の功績も亦た、永世不朽なり...
高木敏雄 「比較神話学」
...而も其結果は偶然にも、大蛇誅戮となり、国土経営となり、民人教化の人文的事業となりぬ...
高木敏雄 「比較神話学」
...出雲神話の大蛇誅戮説話は...
高木敏雄 「比較神話学」
...かの大蛇を誅戮し...
高木敏雄 「比較神話学」
...同じ神のチュムリ誅戮あり...
高木敏雄 「比較神話学」
...之を誅戮しようとなさつた時にも...
太宰治 「右大臣実朝」
...「誅戮(ちゅうりく)」「討伐」「征伐」「征討」などと...
寺田寅彦 「雑記帳より(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
...四度目の罪がある場合には間違いなく誅戮(ちゅうりく)なさるでしょうな...
中島敦 「盈虚」
...僕が天に代って誅戮(ちゅうりく)を加えるんだ」「愉快(ゆかい)だ...
夏目漱石 「坊っちゃん」
...元久二年六月廿一日の條に牧御方請朝雅(去年爲畠山六郎被惡口)讒訴、被鬱胸之、可誅重忠父子之由、内々有計議、先遠州被仰此事於相州並式部烝時房主等、兩客被申云、重忠治承四年以來、專忠直間、右大將軍依鑒其志給、可奉護後胤之旨、被遺慇懃御詞者也、就中雖候于金吾將軍御方、能員合戰之時、參御方抽其忠、是併重御父子禮之故也(重忠者遠州聟也)而今以何憤可令叛逆哉、若被弃度々勳功、被加楚忽誅戮者、定可及後悔、糺犯否之眞僞之後、有其沙汰、不可停滯歟云々同廿三日の條にも相州被申云、重忠弟親類大略以在他所、相從于戰場之者、僅百餘輩也、然者企謀反事、已爲虚誕、若依讒訴逢誅戮歟、太以不便、斬首持來于陣頭、見之不忘年來合眼之眤、悲涙難禁云々とあり若此等の記述にして事實ならば、義時が重忠を以て忠孝節烈の士となしこれを敬愛しこれを辯護すること至れりといふべし...
原勝郎 「吾妻鏡の性質及其史料としての價値」
...家人を戒めこの語を洩らさば誅戮(ちゅうりく)すべしというた...
南方熊楠 「十二支考」
...私一人誅戮(ちゆうりく)被為遊(あそばされ)...
森鴎外 「津下四郎左衛門」
...これらを『誅戮』すると宣言しているのである...
山本周五郎 「花も刀も」
...そのうちに勤王派が盛り返すと今度は佐幕派の全部を誅戮(ちゅうりく)する...
夢野久作 「近世快人伝」
...「天に代って貴様等を誅戮(ちゅうりく)に来たんだ...
夢野久作 「冥土行進曲」
...有無をいわせず誅戮(ちゅうりく)してしまうのです...
吉川英治 「三国志」
...誅戮(チユウリク)シ奉ルモ...
吉川英治 「私本太平記」
...光秀を誅戮(ちゅうりく)して信長のとむらい合戦を果し...
吉川英治 「新書太閤記」
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