...横川の良源の房に一宿した滋幹は、翌日、日もたけなわの頃に房を出て、峰道から西塔、講堂を過ぎて根本中堂の四つ辻(つじ)へ来た時、ふと、急に心が惹(ひ)かれるようになって、雲母坂の方へ道を取った...
谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」
...なおこれ名利の学問であるわいと忽(たちま)ち皇円阿闍梨の許を辞して黒谷(くろだに)の西塔(さいとう)...
中里介山 「法然行伝」
...二十九比叡山西塔の南谷に鐘下房少輔(しょうげぼうしょうゆう)という頭脳のよい僧侶があったが...
中里介山 「法然行伝」
...西塔(さいとう)...
夏目漱石 「虞美人草」
...まあこれを三つに分けて東塔とか西塔とか云うのだと思えば間違はない」「まあ...
夏目漱石 「虞美人草」
...西塔の四階で満二年の間...
久生十蘭 「カストリ侯実録」
...宝永六年(1709)に発行せられた貝原益軒(かいばらえきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』に「京都泉涌寺六角堂同寺町又叡山西塔ニアリ元亨釈書(げんこうしゃくしょ)ニ千光国師栄西入宋ノ時宋ヨリ菩提樹ノタネヲワタシテ筑前香椎ノ神宮ノ側ニウエシ事アリ報恩寺ト云寺ニアリシト云此寺ハ千光国師モロコシヨリ帰リテ初テ建シ寺也今ハ寺モ菩提樹モナシ畿内ニアルハ昔此寺ノ木ノ実ヲ伝ヘ植シニヤ」とあり...
牧野富太郎 「植物一日一題」
...)朝尋西塔路...
森鴎外 「伊沢蘭軒」
...西塔(さいとう)小六対手(あいて)...
吉川英治 「剣難女難」
...「拙者が浪人西塔(さいとう)小六と申す者...
吉川英治 「剣難女難」
...投げ槍の使いてはたしかに西塔小六...
吉川英治 「剣難女難」
...根本中堂(こんぽんちゅうどう)をはじめ山王七社も東塔(とうとう)西塔の伽藍(がらん)も三千の坊舎(ぼうしゃ)も...
吉川英治 「新書太閤記」
...西塔(さいとう)へ行った帰りに...
吉川英治 「親鸞」
...……それには違いありませんが、今では、西塔の堂衆で、朱王房という悪魔です...
吉川英治 「親鸞」
...西塔(さいとう)の学僧寮に堂衆として取りたてられ...
吉川英治 「親鸞」
...西塔の考えでやるがよい...
吉川英治 「親鸞」
...西塔(さいとう)の名僧といわれた鐘下房(しょうかぼう)の幸西(こうさい)法師...
吉川英治 「親鸞」
...西塔は弘仁期にかかるかもしれぬといわれている...
和辻哲郎 「古寺巡礼」
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