...天か股肱の命盡きて襄陽遂に守りなく玉泉山の夕まぐれ恨みは長し雲の色...
土井晩翠 「天地有情」
...襄陽では、温は刺史(しし)徐商(じょしょう)の下(もと)で小吏になって、やや久しく勤めていたが、終(つい)に厭倦(えんけん)を生じて罷(や)めたのである...
森鴎外 「魚玄機」
...荊州襄陽(じょうよう)の大軍をこぞって...
吉川英治 「三国志」
...襄陽の会へ出向いて行った...
吉川英治 「三国志」
...いったい、何処へ行かれたのやら?」「不審だ!」「まったく不思議だ」「いや、汝の態度をいったのだ」「此方に何の不審があるか」「今日、襄陽の会に、何を目的に、あんなおびただしい軍兵を、諸門に備えたか」「此方は、荊州九軍の大将軍、また明日は、大宴に続いて、国中の武士を寄せ、狩猟(かり)を催すことになっておる...
吉川英治 「三国志」
...今日の襄陽の会は...
吉川英治 「三国志」
...実は昨日、襄陽の会で、蔡瑁(さいぼう)のため、危うく謀殺されようとしたが、檀渓(だんけい)を跳んで、九死に一生を拾って帰ったような始末……」と、ありし顛末(てんまつ)をつぶさに物語った...
吉川英治 「三国志」
...襄陽の会が蔡瑁の陰謀に利用され終ったことを知り...
吉川英治 「三国志」
...荊州(けいしゅう)襄陽(じょうよう)の地には...
吉川英治 「三国志」
...襄陽(じょうよう)の西郊へ廻って行った...
吉川英治 「三国志」
...この日、襄陽の百姓は、道に香華(こうげ)をそなえて、車を拝し、荊州の文武百官もことごとく城門から式殿の階下まで整列して、曹操のすがたを拝した...
吉川英治 「三国志」
...襄陽(じょうよう)の名士徳公(ほうとくこう)の甥で...
吉川英治 「三国志」
...「先生には近頃、つい、この近くの山にお住いだそうですな」「荊州、襄陽の滅びて後、しばし山林に一庵をむすんでいます」「呉にお力をかし賜わらんか、幕賓として、粗略にはしませんが」「もとより曹軍は荊州の故国を蹂躙(じゅうりん)した敵...
吉川英治 「三国志」
...襄陽(じょうよう)方面へ遁走(とんそう)するのほかなかった...
吉川英治 「三国志」
...襄陽へも人をやった...
吉川英治 「三国志」
...「予に会いたいというのか」「おそらく仕官を求めにきたものと思われますが」「名は」「襄陽(じょうよう)の統なりと申しました」「さては...
吉川英治 「三国志」
...曹操は徐晃をこのたびの第一級の勲功とたたえ、平南将軍に封じて、襄陽を守らせた...
吉川英治 「三国志」
...襄陽(じょうよう)の郊外に屈居して...
吉川英治 「三国志」
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