...主人(しゆじん)の内儀(かみ)さんは勘次(かんじ)が蜀黍(もろこし)を伐(き)つたことはもう知(し)つて居(ゐ)た...
長塚節 「土」
...寺のうら手より蜀黍のしげきがなかをかへるとて吾心はたも悲しもともずりの黍の秋風やむ時なしに秋風のいゆりなびかす蜀黍の止まず悲しも思ひしもへばもろこしの穗ぬれ吹き越す秋風の淋しき野邊にまたかへり見む秋風のわたる黍野を衣手のかへりし來れば淋しくもあるか十月九日...
長塚節 「長塚節歌集 上」
...その獣嶺南および蜀西山林中に生ず...
南方熊楠 「十二支考」
...それは、玄徳の名で蜀へ攻め入るのがまずいならば、呉の大軍をもって、呉が直接、蜀を取る...
吉川英治 「三国志」
...従って、五斗米教は、中央政府の認めている官許の道教として、いよいよ毒を庶民に植えつけて、今や巴蜀地方は、一種の教門国と化していた...
吉川英治 「三国志」
...西蜀(せいしょく)四十一州図(しゅうず)一覇者は己れを凌(しの)ぐ者を忌(い)む...
吉川英治 「三国志」
...蜀の劉封(りゅうほう)と孟達(もうたつ)であった...
吉川英治 「三国志」
...その馬超はいま蜀にあって...
吉川英治 「三国志」
...蜀を伐つ計を急速おめぐらし遊ばしますように」「否々...
吉川英治 「三国志」
...まず江南第四の蜀軍を捕捉にかかったのである...
吉川英治 「三国志」
...蜀人の仁なんていうものからしてそもそも俺たちの敵性じゃないか」云っているところへ...
吉川英治 「三国志」
...奔河(ほんが)の堤を切るように蜀へなだれ込むだろう...
吉川英治 「三国志」
...しかも、南蛮征服の軍は絶対に果しておかなければ、魏呉と対しても、たえず蜀の地は、後顧の不安を絶つことができなかった...
吉川英治 「三国志」
...「蜀の大将趙雲(ちょううん)」と...
吉川英治 「三国志」
...ことごとく蜀の錚々(そうそう)たる旗本だったのである...
吉川英治 「三国志」
...これをもって観ると、魏が、街亭に勝って、蜀を退けた後、また直ちに反転して、呉と戦わざるを得なくなった理由は、ただ単に、曹休の献言や呉の周魴(しゅうほう)の巧みな誘計によって軍をうごかしたものとはいえない...
吉川英治 「三国志」
...二たれ云うとなく蜀宮中に...
吉川英治 「三国志」
...呉(ご)は蜀(しょく)と同盟して...
吉川英治 「私本太平記」
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