...震旦(しんたん)の話の序(ついで)に蜀漢(しょくかん)の劉玄徳(りゅうげんとく)の耳が長かったと云う事を聞いた時に...
芥川龍之介 「鼻」
...蜀葵(たちあおい)が咲き乱れて...
エドワード・シルヴェスター・モース Edward Sylvester Morse 石川欣一訳 「日本その日その日」
...百姓はこぼしながら馬鈴薯や玉蜀黍などを食った...
田山花袋 「トコヨゴヨミ」
...左右は孰れも茫々として際涯もないかと思ふ程蜀黍畑が連續して居る...
長塚節 「彌彦山」
...貯蔵庫から玉蜀黍のそりを牽(ひ)いて来た二疋(ひき)の馬が...
宮沢賢治 「耕耘部の時計」
...蜀はこの間に、もっぱら内治と対外的な防禦に専念し、漢中王玄徳は、成都に宮室を造営し、百官の職制を立て、成都から白水(はくすい)(四川省広元県西北...
吉川英治 「三国志」
...大局からみると、蜀にとって、中原の大事は、荊州よりも、むしろ漢中にある...
吉川英治 「三国志」
...蜀の国に入る途中船を寄せて...
吉川英治 「三国志」
...内外より蜀軍を撃ち挟(はさ)まんとの手筈ですから...
吉川英治 「三国志」
...たとえわれ蜀の総帥たらずとも...
吉川英治 「三国志」
...あれみろ、城頭高くひるがえっているのは、蜀の旗か、魏の旗か、冥途(めいど)のみやげによく見てゆけ」と罵った...
吉川英治 「三国志」
...蜀の兵馬はなお漢中に留っています...
吉川英治 「三国志」
...蜀に乗ぜられるような事態を招いたら...
吉川英治 「三国志」
...祁山の蜀兵は、目に余る魏軍に肉薄されて、その防ぎに忙殺(ぼうさつ)され、かくとは少しも気づかぬもののようであったから、司馬父子とその奇襲部隊は、「作戦は思うつぼに運んだぞ」と、疾風の如く目的の方角へ馳け向っていた...
吉川英治 「三国志」
...絶えず蜀自体の内にさまざまな憂うべきものが蔵されておったような危機に於てをやである...
吉川英治 「三国志」
...蜀軍の総引揚げに際し...
吉川英治 「三国志」
...呉(ご)は蜀(しょく)と同盟して...
吉川英治 「私本太平記」
...蜀黍の葉の兩側には點々として露の玉が宿つて居り...
若山牧水 「樹木とその葉」
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