...芭蕉居士(こじ)は寛永廿年伊賀の上野藤堂新七郎殿の藩(はん)に生る...
京山人百樹刪定 「北越雪譜」
...藤堂采女(とうどううねめ)...
関根黙庵 「枯尾花」
...藩主が津藩の藤堂家より養子を貰われ...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...定昭公の実家である藤堂家に諒解を求むる必要があったので...
内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」
...藤堂の討手(うって)で藤井新八郎というのがこの大将分で...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤堂方の討手は小舎を遠巻きにしていると...
中里介山 「大菩薩峠」
...「……折悪(をりあし)く局中病人多く、僅々三十人、二ヶ所の屯所に分れ、一ヶ所、土方歳三を頭として遣はし、人数多く候処、其方には居り合ひ申さず、下拙(げせつ)僅々人数引連れ出で、出口を固めさせ、打入り候もの、拙者初め沖田、永倉、藤堂、倅(せがれ)周平、右五人に御座候、かねて徒党の多勢を相手に火花を散らして一時余の間、戦闘に及び候処、永倉新八郎の刀は折れ、沖田総司刀の帽子折れ、藤堂平助の刀は刃切(はぎれ)出でささらの如く、倅周平は槍をきり折られ、下拙刀は虎徹故にや無事に御座候……」「なるほど」「実にこれまで度々戦ひ候へ共、二合と戦ひ候者は稀に覚え候へ共、今度の敵多勢とは申しながら孰(いづ)れも万夫不当の勇士、誠にあやふき命を助かり申候、先づは御安心下さるべく候……」「なるほど」米友はしきりに感心して、近藤勇がはるばる京都から、江戸にいる養父周斎の許(もと)へ宛てたという手紙のうつしを、読んでもらって聞いてしまいました...
中里介山 「大菩薩峠」
...十津川の時に藤堂勢に従って...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤堂家の城下の舞台となる...
中里介山 「大菩薩峠」
...藤堂家からはお隣りの...
中里介山 「大菩薩峠」
...ついこのごろまで藤堂(とうどう)さまのお陸尺...
久生十蘭 「顎十郎捕物帳」
...三藤堂(とうどう)家の老女妾の幸福(さいわい)は...
福田英子 「妾の半生涯」
...「――本当に滅茶苦茶を致しますんですからねえ」そして藤堂の顔に目を据えて云った...
「一本の花」
...チットも遠慮はいりませんから――百姓 ……名前は何と言いやす?青年 自分は藤堂と言います...
三好十郎 「おりき」
...慶長十四年に藤堂佐渡守高虎(とうだうさどのかみたかとら)が率先して妻子を江戸に置くことにしたのを始として...
森鴎外 「栗山大膳」
...後に夫となるべき抽斎は五百が本丸にいた間、尾島氏定(さだ)を妻とし、藤堂家にいた間、比良野氏威能(いの)、岡西氏徳(とく)を相踵(あいつ)いで妻としていたのである...
森鴎外 「渋江抽斎」
...藤堂与右衛門高虎(とうどうよえもんたかとら)...
吉川英治 「新書太閤記」
...堀久太郎、高山右近、桑山修理、黒田官兵衛父子、木村隼人佑(はやとのすけ)、藤堂与右衛門、小川佐平次、加藤光泰などの全隊など――見わたすにも目に余るほどな軍馬だった...
吉川英治 「新書太閤記」
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