...しばしば八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と云う言葉がかすかに洩れるのを聞いた...
芥川龍之介 「或敵打の話」
...とにかく沖縄が薩摩に対する悪感情は漸く和(やわら)いで参りましたが...
伊波普猷 「琉球史の趨勢」
...『勾配は九段坂よりも緩やかなり、路程は僅々十數町、先づざつと、九段坂を五倍したるものと見れば可ならむ』と云ひしに、半信半疑の樣子にて、『ともかくも山の麓までおつきあひ申さむ』と云ふ、はゝあ、解(よ)めたり/\、檜葉菩薩の賢明、三馬鹿の陰謀をそれと見拔き、釣られたる風をして、そつと三馬鹿を出し拔き、麓にて待ち合はす相手にとて、六一菩薩を招きたるよな、その手は喰はぬと、裸男開き直り、『六一菩薩は御老體也...
大町桂月 「夜の高尾山」
...薩摩飛白の着流しの上に...
直木三十五 「南国太平記」
...薩州邸の長い土塀をグルリと廻って徳島藩の裏門を入りました...
中里介山 「大菩薩峠」
...七十万石の薩摩薯だから...
中里介山 「大菩薩峠」
...今しも薩摩屋敷の中から繰出して来る一大行列は...
中里介山 「大菩薩峠」
...たしかにあれは三田の薩摩屋敷にいた...
中里介山 「大菩薩峠」
...薩長あたりが中心となって...
中里介山 「大菩薩峠」
...当時けしからぬのは芝の三田四国町の薩摩屋敷だということです...
中里介山 「大菩薩峠」
...薩摩の大島沖(おおしまおき)で難船して幸(さいわい)に助かり...
福澤諭吉 「福翁自伝」
...目無達磨の出で俄に本物の大薩摩がでて来て黒幕外で弾きまくつたら...
正岡容 「浅草燈籠」
...北は津軽から南は薩州にまで及んだ...
柳宗悦 「地方の民藝」
...黒物はどうしても薩摩焼の正系である...
柳宗悦 「苗代川の黒物」
...カンコロ薩摩薯の切乾しをそう呼んでいる地域は...
柳田國男 「食料名彙」
...薩摩(さつま)の甑島(こしきじま)という離れ島などにも...
柳田国男 「年中行事覚書」
...地蔵菩薩を以て終身の守護にしようと思ったのである...
吉川英治 「私本太平記」
...もし右に観察したごとき諸点がすでにインドあるいはシナの仏菩薩像においても認められるとすれば...
和辻哲郎 「日本精神史研究」
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